第5話 広島県・東広島市編|あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro
酒蔵探訪
さて、この連載では今まで4ヵ所ほど、いろいろな街を巡ってきたが、そろそろ首都に行ってみようと思った。やはり一度は首都を訪れないと、格好がつかないからだ。
もちろん首都といっても東京ではない。
日本酒ファンにとって首都=酒都のことで、日本の酒都といえば広島県の東広島市、西条のことである。
駅から1キロ圏内に7つもの酒蔵があり、日本唯一のお酒の公的研究機関である「独立行政法人 酒類総合研究所」も存在し、毎年10月に開かれる「酒まつり」では約20万人が集まって酔いしれるという、まさに西条は酒の都、酒の聖地といっても過言でないだろう。
ちょうど良いタイミングで、私は西条に複数の伝手を作ることができた。
西条は酒の街と同時に広島大学のお膝元でもあり、広島大日本酒サークルの関係者と繋いでもらったのである。
残念ながら、当日会って案内してもらうことは叶わなかったものの、熱燗を飲みたいというこちらの希望に対し、おすすめの店をセレクトしてくれたためスムーズに取材を進められた。
広島大OBで日本酒サークルの創立者くぼたさんも、現役の広島大生で去年小鳥書房のインターン生だったしおちゃんも、揃って「きまぐれ居酒屋 ひで」はイチ推しであった。
また、くぼたさんが紹介してくれた「Standing bar Radical」は13時からオープンするというので、Radicalからひでというコースで梯子することに決める。
その前にせっかくだから酒蔵を見て回ろうと思った。観光名所なだけあって、駅構内に7つの酒蔵の営業時間や、酒蔵通りの案内図が示してある。
駅前のロータリーからすぐ左の道が酒蔵通りだから、迷うこともない。
すでに蔵の建物や煙突が顔を覗かせていて、本当に駅から近いのだと実感した。
通りを進み、早速見えてきたのは「白牡丹酒造」の建物、でもその隣に「賀茂鶴」の蔵があり、さらに奥には「西條鶴」の煙突が見える。
赤い瓦と白壁の蔵が連なり、レンガの煙突が青空に向かってのびる光景を歩くのは、とても清々しかった。
でも酒蔵を除けば西条の街は思っていたよりも都会で高い建物も多く、ベッドタウンという様相であり、レトロな街並みと、立ち並ぶマンションのギャップもまた面白い。
あっという間に一番奥の「福美人酒造」まで辿り着いてしまった。
ここまで通ってきたのは6蔵、そのうち開いていたのは4蔵、なかでも一番規模が大きく全国に名が知れている「賀茂鶴」は時間がかかりそうだから明日に回して、「福美人」、「亀齢」、「西條鶴」を少し覗いていこうと思う。
蔵見学はできないが、どこも結構立派な直売所が併設されており、小さなカップで試飲ができた。
ちょっとしたギャラリーのように、酒造りの道具が展示されていたり、なかには歴代総理が「國酒」と揮毫した色紙が飾られていたりするところもある。
試飲で勧められたのはほとんどが「蔵限定酒(吟醸生酒が多い)」とか「大吟醸」だ。やはりせっかく来たからにはこういうのを買え、ということなのだろう。
飲んでみると、予想通り押しなべて爽やかでフルーティーで、冷やして楽しむ、口当たりが軽いものばかりだった。観光客にはぴったりかもしれない。
悪くないし、美味しいのだが、なんとなく予想の範囲内、「誰かにモノサシで測られているな」と思ってしまった。
それでも何本かお土産に限定酒を買う。
私もモノサシにおさまる観光客の1人だろうか?
あつかんオン・ザ・ロードは、意識の旅であるはずだった。内的体験を求め、野性を感じなくてはならない。
酒場に期待が高まり、こんなもんで西条は終わらないぞと、逆に張り切っている自分がいた。
日本人に付き添われて来ているアメリカ人のカップルが「アメイジング!」を連呼している声をしり目に、蔵を出る。
日陰でお茶を飲んでイヤホンで少し音楽を聴いてから、私は1軒目に向かった。
1軒目 Standing bar Radical
「Standing bar Radical」は、西条駅からしばらく歩いて東広島市立美術館を少し越えたあたりの、マンションの1階にある。
日本酒の酒瓶こそ並んでいるものの、その隠れ家的でモダンな外観は、まるで洋酒を出すオーセンティック・バーのようにもみえた。
14時過ぎ、扉を開けるとカウンターにマスターが一人で、先客は誰もいない。スタンディング・バーだから椅子はなく、壁にずらりと並んだ日本酒が壮観で、冷蔵庫にもたくさん入っているようだった。
店内はデザイナーズ・マンションの一室のようなコンクリート打ちっぱなしで、すっきりした落ち着く空間だ。
燗酒が飲みたい旨を伝え、少し相談して、一杯目は西条のお酒「亀齢 辛口純米 八拾」の熱燗をオーダーする。
精米歩合80%、辛口、アルコール17度……、ラベルからはそれなりの衝撃を予想していのだが、いい意味で裏切られる。
美味い! 何だこのまろやかな飲みやすさは!?
リンゴのような甘酸っぱさも感じ、しっかりとした米の旨さも広がり、この一杯でああ西条に来て正解だったと思ったほどだ。
「食米を使っていて、値段が安いからコスパがいいんですよ」
マスターの富島さんは相当お酒に詳しく、気さくに話してくれる。私が広島大日本酒サークルやくぼたさんの名前を出したら、ますます話が弾むようになった。
店内にくぼたさんが出ている新聞記事の切り抜きも貼られており、日本酒サークルの打ち上げの二次会はいつもこちらで開かれるという。
つまみは、乾きもの中心の小品になるようだ。黒板のメニューから、珍しいと思った「つまみになるそば茶」「能登のからせんじゅ」という2品を頼んだが、値段は良心的でなんと100円だった。
そば茶は、炒ったそばの実に塩をブレンドしたもので、ちょっとずついただけば十分な酒のアテになる。胃にまったく負担をかけそうもない一品だから、お酒に集中することができるだろう。
からせんじゅは、ほぼからすみのようで、もちろん辛口の熱燗に合わないわけがなかった。
二杯目も西条の蔵のお酒を選ぶ。「西條鶴 蔵楽 協会六号仕込 辛口・純米酒」である。
これも先ほどの亀齢同様、単なる薄っぺらい辛口ではなかった。しっかりとした造りで、酸味も適度にありつつ豊かなコクがあり、最高だ。
しかし、さっき亀齢も西条鶴も訪問したはずだが、これらのお酒は蔵に置いていなかった。観光客には勧めないということだろうか。なぜ、こんな素晴らしいお酒を披露しないのか。
マスターは、日本酒は色々な温度帯で自由に楽しめるという理念をお持ちだが、飲みやすい冷酒に人気が傾きがちな現状に対し「どうしたらもっと熟成酒や燗酒の魅力を広められるか」ということを真摯に考えておられるようで、私と志を同じくしていることが分かった。
僭越ながら私も自分の制作したZINEをお渡しし、熱燗の普及に微力ながら取り組んでいることをお伝えする。
マスターから、広島各地の日本酒のこと、石川達也杜氏のこと、酒類総合研究所のことなど、私が知らない話をたくさんお聞きできたのは貴重な時間だった。
やがて、常連さんと思しきご先輩が一人、しばらくしてまた一人と入ってきたが、彼らもまたかなり日本酒の知識には長けており、マスターと自然に日本酒談義で盛り上がっているのに、私は背筋が伸びるようだった。
後から来られた知的な雰囲気の紳士は、カウンターに向かうなり迷わず「雪の茅舎をぬる燗で」と頼む。その淀みない所作に、惚れ惚れとした。
そして、店内はいつのまにか「扁平精米の技法」という相当マニアックな話題で論を交えていた。それも、どこどこの酒造が扁平精米のお酒を造り始めたね、といったレベルの話題ではない。精米機の構造や設計に及ぶエンジニアリングの話で、私はその白熱ぶりにまったくついていけず、宙を眺めながら聴いているほかなかったのだ。
議論の頃合いを見計らって、「十旭日 サンキュー」というお酒を頼んでみる。十旭日はときどき飲むが、初めてみるこれはラベルのデザインもやけにポップで、麹歩合を39%に高めているという、ずいぶんな変わり種だが、甘いながらも十旭日らしさを残しているところがさすがで、なかなかいけた。
ここでマスターが私のことを諸先輩方にも紹介してくれたのが嬉しかった。
さっきから自らの勉強不足を恥じ入るばかりの新参者かつ若輩者であったが、最後は畏れ多くも輪に入れたようだ。
最後の一杯に何を頼もうかと考えていると、しおちゃんからメッセージが入る。「Radicalだったら、賀茂鶴の梅酒は絶対飲んでください」
梅酒とは意外だったが、面白いと思って頼もうとすると「こっちの方がいい」とマスターは、別の梅酒を持ってきてロックで出してくれた。
それが、梅津酒造の「良熟梅酒 野花」というものだったが、驚くほど飲みやすく、美味い。味もさておき、まるでトマトジュースのように、どろどろの柔らかい果肉がダイレクトに伝わる食感といい、私が知っているものとはまったく違う、飲んだことのないような梅酒だったので衝撃を受けた。
さて、あまりにも濃密な時間があっという間に過ぎていき、立ち飲みにしては長居しすぎている。
もう次に行くひでがオープンする時間になりそうだったので、そろそろお暇しようとすると、なんとマスターが電話でひでに連絡をとって、私のことを取り次いでくださった。その優しさには、今だ感佩するばかりだ。
2軒目 きまぐれ居酒屋 ひで
2軒目に伺った「きまぐれ居酒屋 ひで」は西条酒蔵通りの入り口にある「西条酒蔵横丁」内の一角に店を構える。
外装、内装という点でいうと、先ほどお邪魔したRadicalとは対照的だった。
テレビも置いてあり、視界にはたくさんの色彩、文字、オブジェが入ってくるが、しかしこれはこれで不思議と落ち着く。
カウンターに座ると、お燗番をつとめる女将の小山知子さんが快く迎えてくださり、日本酒を説明してくださった。
棚の上に並んでいる一升瓶は中国地方の酒を中心に、厳選されたもののようだ。
まずは、珍しいお酒、京都の向井酒造の「益荒猛男」を熱燗でいただいた。ネーミングそのままに、がっつりと骨太の辛口である。
なんとなく、これに対抗できるつまみはアヒージョだと思って、注文した。メニューは豊富な種類があって、奥のキッチンで寡黙そうなマスターが料理に励んでいる。
小山さんの燗酒に対する思いは熱く、知識も豊富、酒蔵にも足を運んでいるようで、話題は尽きなかった。
「お米は炊いて食べるものだから、日本酒も温めて飲むのが基本のはずでしょう」
一言一言が力強いお燗愛に満ちていて、聴いているだけで胃が温まるようである。
ホタテがたっぷり入ったアヒージョのオイルを辛口の燗で流していると、次々にお客が入ってきて、カウンターが埋まっていった。
ダンディなご先輩から、自分の同年代くらいの人も、もっと若い人まで来る。最初の一杯はビールを飲む人が多いようだ。
皆、それぞれ小山さんとフランクに、今日の出来事、仕事の話や身の上話をしていた。
「あー、この感じはスナックだなあ」と思った。私も西条に住んでいれば、他愛ない話をしに、ここに通うに違いないだろう。
お隣のご常連が食べている刺身が美味しそうで、つられて頼んでしまった。
二本目の燗は、広島のお酒「大號令 生酛純米 雄町」。日本酒度はマイナス10だが、それほど甘ったるくないし、バランスが取れた美味しさだ。
「ボディが強い酒と同じように熱湯につけたら甘味だけ際立ってしまったから、丁寧に燗をつけて酸を残してみたら、いい味になった」ということで、小山さんのお燗の腕前を示すものだった。
燗に対する拘りという点では、ひでの名物ともなっている「お燗タージュ」を目の当たりにした。湯煎するときに、ちろりをもう一つ用意しておき、酒が温まると、徳利に注ぐ前に一回ちろりから空っぽのちろりへ移し、そしてまた元のちろりへと一往復、高い位置から注ぎ直す。
曲芸というわけではなく、空気に長く触れさせて、まろやかで優しい味になるようだ。
さらに、小山さんは温度計を使わず、匂いだけで塩梅をはかっていた。これは酒のことをよく知っていないとできない技だろう。
後から来たお客さんたちも、燗酒を頼み始めた。みんな「おすすめで」と注文しており、信頼が伺える。
ところで、てっきり私より先客だと思っていた、最初からテーブル席に1人座っていた若者は、実はアルバイトの店員だった。しかも、広島大の日本酒サークルに所属しているという(幽霊部員らしい)。何も飲み食いしないし様子がおかしいと思っていたが、店が混み始めると活躍する役割のようだ。このお店の緩く温かい雰囲気に思わずなごんでしまった。
フィニッシュは、西條鶴醸造の「天成 生酛 30BY」で〆る。これもRadicalで飲んだ「蔵楽」と同様、酒蔵の直売所ではまったく見かけなかったものだ。なんと女将が酛すり(*)を手伝ったという。
岡山の「まめ農園」という農場で栽培している酒米を使用しているそうで「たしか昇竜蓬莱もそのお米を使っているはず」という。
昇竜蓬莱とは私の住む神奈川の地酒であり、まさか西条でその名前が出てくるとは思わなかったから驚いた。
そういえばRadicalでも神奈川のいずみ橋酒造のヤゴ酒が置いてあったし、さすが酒都のバーは全国の地酒をチェックしているのだ。
その天成の熱燗は、それこそ天に昇っていくような心地の素晴らしい味わいがした。
雄町、さらに生酛ならではのディープな酸味は、燗によって高貴になったようだ。口に広がるしっかりした旨みの後、鼻に抜けてくるほのかな熟成香がたまらない。
お隣の若い方とも、しばしお酒の話に花が咲いた。しかし、ずいぶん論理的で知的な人である。Radicalでも思ったが、西条は理系の方、エンジニアが多いのではないか? さすが学園都市なだけはある。そういう人達が熱燗を飲みに来る、というのがなんだか嬉しい。
カウンターの向こうのお客さんが「しばらく住んだ西条を離れるので、最後にここに来ました」というのが耳に入り、思わずもらい泣きしそうになった。そろそろ店を後にしよう。燗が少し冷め、酸味が穏やかになった天成を呷ると、しんみりした心の隅々に沁み渡った。
最後、女将の爽やかな笑顔に送り出されながら、「お燗タージュは身体に優しく円やかだから、ぜんぜん酔わないですね!」などと豪語した記憶が微かにあるのだが、さすがにRadicalから約7時間近く、色々と飲み続けた蓄積はあったようだ。
ホテルの部屋に帰る前に、コンビニで毒々しい缶チューハイを買ってしまったのが運の尽きで、それなりにダメージを負うことになってしまった。これはもちろん燗酒のせいではなく、チューハイのせいであろう。
翌日は重い頭と身体を引きずりながら、昨日寄らなかった「賀茂鶴」の酒蔵を見物し、色々土産物を買って帰路についた。西条駅のトイレにはずいぶんお世話になってしまい、申し訳ない気持ちだ。
まとめ 西条の魅力とは
今回、西条には僅か2日間の滞在だったが、私はいい意味で酒都の洗礼を受けたと思った。まるで日本酒大学に体験留学したような感じだ。
日本酒のハード、ソフト、ヒューマンリソースが高レベルでそろった西条は街自体が日本酒大学のキャンバスのようなところだった。
だが、何よりも1番なのは、人々に育まれた日本酒に対するハートとマインドではないか。
賀茂鶴で買って帰った酒は「酒中在心」という名前だった。
それが、なにかそのまま西条で今回出会った人たちや場所をあらわしているような四字熟語に思えて、ならない。
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