英語教育について
五ヶ月の留学を終え、英語のクラスのレベルを上げることにしたが、このクラスはネイティブスピーカーだらけのほぼ異国クラスであった。
そこにぽっとでの純ジャパ人が飛び込んだわけで、もちろんついていけないことの方が多く、前までは取れていた成績5ももしかしたら危ういかもしれないと思えてきた。
今やっている内容としては、宗教についての哲学対話とLove poetryを読み解くというものである。
どちらもfinal projectが進んでおり、かなり苦戦している。
準備だけでは誤魔化すことのできない自分の英語力の無さに打ちひしがれる。
だが、やっぱり気に入らないのは、当日準備のペラペラの子に成績が負けてしまうということ。土台が違うし元々の英語能力の差があるため、担当教員としても成績をつけるには、やはり英語ができるかどうかが含まれてくる。
だが、やはり努力の差を実力で埋められてしまうのは、とても悔しい。
そういった、”努力点”はあまりにも定義が曖昧で、目に見えない。
グループ活動も同じことで、本当に公平に成績がついているのだろうかというところは不安要素である。
、、少し長くなりそうなので次の投稿でこのことについて深く書いていこうかな。。。