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タケノコに起因するカメノテ論議

筍がSNSを騷がせる時期である。不肖わたくしも、今月中旬に、100g = 100圓のものを八百屋で買って、學友と賞味した。そして、數日前、100圓で無人販賣されてゐた600gの大物をゲットし、こゝ數日、刺し身と筍ご飯とを堪能してゐる。

とりわけ、筍ご飯は毎日狂ったやうに食べてをり、白米年閒攝取量の何割かを既に超えた。左黨/辛黨だからか、白米はどうも好きに成れず、日頃食べないのであるが、筍ご飯は、TKGこと卵掛けご飯に同じく、例外である。よく見れば、筍ご飯もTKGと略稱しうるではないか。

このTKGといふ略稱、さう惡いわけではないが、(ダサい)專門用語っぽいところが卵掛けご飯、筍ご飯の素朴さに合はない。宮內廳からの橫槍みたいなことを言へば、やはり、古來より脈々と續いてきた固有語であって欲しい。

「筍」「ご飯」といふ2要素から成る「筍ご飯」はまだ良い。しかし、

卵を-掛けた-ご飯

卵-掛け-ご飯

は、なんと言ふか、發案者の語彙力に疑問符が附く水準に有る。

現狀の、臨時的に作ったやうな複合語ではなく、midu '水' に對する ju '湯' のやうな1音節語にしてはどうか。'(冷たい)液體 H₂O' を意味する midu とは音節構造を大きく違へる ju が '溫かい/熱い液體 H₂O' を指すやうな固有性、非經濟性を、究極の和食、卵掛けご飯にも誇示してもらひたい。

このやうな觀點から1音節語を見渡すに、'龜の手' などに se を、しかも、千數百年も前から當てゝゐる (『萬葉集』に證據有り) ことに氣附く。そのやうな餘裕が有るなら、卵掛けご飯に囘すべきだらう。

まあ、衞生上の問題から、古くは卵掛けご飯が食べられなかったのだらう。それにしても、se '龜の手' て … 。e '柄'、ke '毛'、te '手'、ne '値; 根; 音'、pe '屁; 舳'、me '目'、je '江' が居竝ぶエ段において、ぶっちぎりの不要性を誇ってゐる。(かう言っておきながら、言語學者につき、se '龜の手' みたいな謎語も嫌ひではない。)

前述の、midu '水' とは音節構造を違へる ju '湯' を思へば、tamago-kake-gopan (或いは takenoko-gopan) から遠く離れた se は絕好の1音節語である。それがよりによって、龜の手に占められてゐるといふ … 。龜の手は隱れた美味であり、個人的には酒の友として愛好してゐるが、貼り附く場所は岩場だけにして欲しかった。

しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり