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何年か後という言葉はやめる

つい先日、実家の隣に住むお母さんが亡くなりました。

脳出血で倒れたと聞いて1ヶ月とちょっと。
69歳だったそうです。

実家のお隣さんだったお宅。

お子さんも私と年齢が近かったので、小学校のときはよく遊びに行ったりもしました。

大人になってからは付き合いもなかったけど、離婚してしばらく実家にいたので、子どもたちが小さい頃はよく声をかけてもらったりして。

実家を出てからもちょいちょい実家には行くので、会えば挨拶をするし、家庭菜園のお野菜をよくお裾分けしてもらったりしました。

お野菜、めちゃくちゃ美味しかったんだよな。

倒れたと聞いて1ヶ月ほど。

たまたま実家に行っていたとき、なんとなくお隣さんの様子がおかしいな…と思っていたら、お母さんが亡くなったと聞きました。

お子さんたちは私と年齢が近い。

うちの両親はお隣のお母さんより8個ほど歳が下になるけど、なんとなく、いつ人生が終わるかって本当に分からないんだなと実感しました。

今日生きていることも奇跡。
明日生きていることも奇跡。

5年後、10年後、15年後、20年後…
生きているとしたら奇跡。

奇跡という言葉で簡単に片付けるのもどうかと思いましたが、今という時間って本当に今だけで、いつ自分の人生が終わるかなんて分からない。

そして両親の人生も、いつ終わるか分からない。

何年か後には両親と子どもたちとどこかに旅行へ行きたいな。

そんなことをのんびりと考えていた矢先、聞いたお隣のお母さんの訃報。

朧げに何年か後には…と考えていたけど、それがどうなるのかは本当に分からないんと思いました。

人生何が起こるかわからない。

そんなこと、頭ではわかっていることだけど、なかなか実感ってしないもんです。

考えたくもないことだけど。
いずれはそのときが来る。

いや、もしかしたら私が先に…という可能性だって、ゼロとは言えないですよね。
人生何が起こるか分からないから。

何が起きても後悔しないように。
両親との時間をもっと大事にしていきたい。
子どもたちと両親の時間も大事にしたい。

明日やろうは馬鹿野郎。
こんな言葉がありますよね。

今noteを書いていてふと浮かんだけれど。
明日やろうと思って出来るかなんて、明日にならないと分からない。

1日1日、ゆっくりする日もダラダラする日も、今日はダメだなぁ…という日もあるけれど。

今日はこういうことがあったな。
ここ頑張ったな。
1日1日、振り返って生きていきたいな。

そして、大切な人との時間も当たり前と思わず、大事にしていきたい。

両親との時間。
子どもたちとの時間。
両親と子どもたちの時間。

限りある時間を、大事に大事に。
いつかあの世に行くとき、後悔しないように。

出来ることは早く。
何年か後なんていう考えはやめよう。

まとまりがない感じになってしまいましたが、今の感情を残したいと思い、noteに書きました。

読んでくださり、ありがとうございました。

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