ポール・オースター「鍵のかかった部屋」
美しい妻と小説の原稿を残して失踪したかつての友人ファンショー
残された小説を託された「僕」はそれを出版し さらにファンショーの伝記を書くことになった
友人の過去をたどり 今の居場所を探しまわるうちに 僕の中に確かにあった何かが少しずつ壊れはじめる
ファンショーは今どこにいるのか はたして生きているのか
いや 今までも本当に存在していたのか
ひょっとして 僕の心が創り出した ただの幻なのか
今目の前にあるものは本当にそこに在るのか
部屋も その中にいるはずの人間も 実は自分の頭の中だけにしか存在していないのかもしれない
自分さえも 今この世に存在していると証明できるものは何一つない
だとしたら 僕を僕たらしめているものは一体何なのか―
すべての人生は不可解なのだ。いくら多くの事実が語られたところで、いくら多くの細部が伝えられたところで、いちばん大切な部分は語られることを頑なに拒むのだ。誰それはどこで生まれてどこで育ち、これをしてあれをしてそのように生き、やがて死んでいきました―などと並べ立ててみたところで、大事なことは何も伝わらないのだ。
おそらくわれわれは自分自身のために存在しているのだろうし、ときには自分が誰なのか、一瞬垣間見えることさえある。だが結局のところ何ひとつ確信できはしない。人生が進んでゆくにつれて、われわれは自分自身にとってますます不透明になってゆく。自分という存在がいかに一貫性を欠いているか、ますます痛切に思い知るのだ。
人と人とを隔てる壁を乗りこえ、他人の中に入っていける人間などいはしない。だがそれは単に、自分自身に到達できる人間などいないからなのだ。
その人が今どこにいて誰と一緒で何をしてて… 知りたいのはそんなことじゃない
私たちが 人のことを理解したいと思った時に大切なことは
何を思い何を考え どんな言葉で伝えようとしてるのか
本当に知りたいのは そういうことなんだろうなと思う
知ったところで 全部を理解できるわけじゃあないけど
それでも 人を知りたいと思い 自分を知りたいと思い くりかえし人と関わることで自分自身の形も作りあげていく
自分を知るってのは そういうことなんじゃないかなと思う
(2012.09.17)
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