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すべてはつながりの中で変化している
先月はほぼ毎日投稿してみたものの、書くことがゴールになっているお粗末さを感じた。やはりここに投稿する内容は自己観察の気づきでありたい。
早速、投稿していない時間で新たな発見があったので書き記しておこうと思う。
このnoteを書き始めてから5年が経つが、そのあたりから私はうんと変化している。自分でも驚くほどだから、昔の私を知る人はその変化に私以上に驚いている。
起業当時の私の想いは崇高なものだが、どうも自分自身の知識も精神もそれを叶えるほどのものではなかった。やりながら学びながら改善しながら、どうにか必死に自分の想いに近づくべく生きてきたのは確かだが、どうもその未熟さが自他共に不満や不信の原因となっていた。
知識や精神が未熟ゆえ、利己的で自己中心的な行動や態度がやまなかったと思う。たくさんの人と出会い、別れた。その度に心が引き裂かれ苦しく辛い感情を避けて通ることができなかったおかげで成長を余儀なくされ、今では変化することを喜ぶようになった。
一番大きな変化のきっかけはパートナー博揮との魂の出会いだったけれども、ずっと昔からこのように変化するのを待ちわびていたと思う。
私は成長するたびに《思いやり》《協力》《献身》《寛容》《慈悲》を学び、その質を上げているように感じる。
ようやく私の準備が整ってきたからなのか、未熟な頃の私を知る人たちとの再会の機会が増えている。その度に「お待たせ」という言葉が浮かんだ。そして私だけではなく、その再会の相手もうんと変化がある。共に別の場所で得た経験を携えて想いを伝え合うのは喜びでしかない。
あ、これ、なんて表現するんだっけ?と頭をよぎった。
そう、諸法無我だ。
全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。こう考えると、自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで"生かされている"存在であると気がつきます。
そっか、博揮と出会ったあの日から私たちは互いに鏡となりお互いを磨き合ってたんだ。相手の鏡に映る自分を快く受け入れられるように(慈悲)、自らを思いやり、努力を惜しまず(献身)、過ちにも寛容に、そして何度もやり直す機会を自らに、他者に与える(協力)。
何度も何度も私たちはそうやってお互いを励まし、愛し、慈しむ心を学び合ってきたんだね。これからもよろしく。そしてその善きエネルギーは私たちが出会う人たちへと伝播するんだね。そしてまた巡り巡って私たちの元に還ってくる。なんと美しい世界だろう。この世を去るときにあぁ今世はよくやったね、と自分を褒めることを願って、明日が来るのを楽しみにしよう。
余談。
このnoteを書いているのと同時にパートナー博揮は彼のFacebookにこう投稿していた。これが双子の魂というやつか。表現は違っても本質が同じと感じる。
【たくさんの選択が今日につながっている。】
それは、自発的な選択であることもあれば、全く予想外のタイミングでもたらされる場合もある。
その一つが違っていたり、なにかタイミングが合わなかったりしたら、今日いる場所も、やっていることも、自分の性格だって、全然違っていたかもしれない。
まさか福岡という地に住むとは思ってなかったし
まさか直方に移住するとも思ってなかった。
きっと海外に行っていただろうと思っていたけど、その時欲していたものは、違う形で手に入っている。
昨日、岐阜からとある家族が門前町にやってきた。
彼は僕があっことつながるきっかけとなった人で、こうしてまだご縁が繋がっていることが嬉しい。
さっきトイレで読んでいた本の一説に
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ぴったりの職種、ぴったりの仕事がいちばんいいときに、一番いい方法で見つかり、そのときは自分もすぐに気づくに違いないという方向へ向けて発信しなさい
その考えを強く抱き続け、決して迷わず、確かな期待という水やりを続けなさい
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とあった。
そうして祈る人のもとに縁がもたらされるのは見えずとも、いわばこの世界に働いているシステムなのだという。
引き寄せの法則やらなにやら流行っていたが、旅を始めた当時から今日までのことを思うと、そのシステムの存在を信じざるを得ない。
それは苦痛も含め、自己の人格の成長を伴いながら、まったく想像を超えたカタチで、より味わい深い現実を生み出している。
この先どんな未来につながるのかはわからないが、自然が地水火風空というサイクルで循環していくのだとしたら、流れ着いたこの場で熟し、少しずつカタチづくられていくような火→風の期間に突入していっているように思う。
果たして、数年後、僕は、みんなはどんな人で、ここはどんな場になっているのだろう。
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