場には想いが宿る
すっかり更新がご無沙汰です。
ここのところの気温や気候のジェットコースターやばない?
漢方飲んだりヨガしたり、飲食の微調整でなんとなく過ごせるようになってきました。
書きたいことは浮かんだ時に捕まえておかんと、あっという間にどっかに飛んでいくから困ったもんだ。
タイトルの通り、場ってなんか人の想いの残像みたいなのが残る気がするんだよね。
焼肉とか鍋とかやった後、臭いが残るじゃないですか?
あ、この家昨日たこ焼きやいたよな…
みたいなやつ。
人の想いも一緒で、その場を普段作っていた人がいなくなっても、想いの残像みたいなものはしばらく残るんだよ。
一番最初にそれを感じたのは母が事故にあった日。
集中治療室にいる母を残して、確か親戚に家まで送ってもらって。
実物の母は、生死の境を彷徨っているのに、なぜか家には母の匂いがしたんだ。
気配を辿っていくと、台所の流しにはきっと帰宅してから洗おうと思っていたであろう食べた後の食器があったり、帰りにスーパーで買い足すものをメモするときに使ってそのままテーブルの上に置いたボールペンがあったり。
きっとそういう些細なものから気配を感じ取っていたんだろうと思う。
それから母は寝たきりになり、病院を転々とした後施設に落ち着いたけど、そうしている間に家はすっかり変わってしまった。
この数年で父が2度倒れた時も同じような匂いを家で感じたことがある。
それと同じ感覚になれるのが山や神社仏閣に行った時なんだよね。
古い建物や歴史ある場所はそこで過ごしてきた数多の人の記憶や想いの温度が感じられて良い。
そろそろ山登りにも行きたい。
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