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内なる風に吹かれて

最近、風が強く吹く日が続きます。

風の音に耳をすませていて、ふと、以前に読んだ本のことを思い出していました。ブラジル人の小説家による名著、『アルケミスト』。もう何年も前に買った本だけれど、薄くて読みやすいのと、美しい絵本のように一つひとつのシーンが印象的で、事あるごとに開く本です。

主人公は羊飼いの少年。

「ピラミッドへ行けば、隠された宝物を発見できる」という夢のお告げを信じた彼は、スペインのアンダルシアから海を渡り、クリスタルの商人となり、アフリカの砂漠を横断し、錬金術師(アルケミスト)と出会い、ついにエジプトを目指す・・・

ひと時の間、魂が違う時空に旅に出てしまうような、砂漠のように果てしない静寂を閉じ込めたような物語だなと感じます。

印象的な言葉がいくつもあって、その時の自分の状態によって響くところが違ったりするのですが、今回特に印象に残ったのがこの部分。

「おまえは風にはなれない」と風が言った。「おまえと私はまったく別のものだ
「それは正しくありません」と少年は言った。「僕は旅をして、錬金術の秘密を学びました。僕は自分の中に、風も砂漠も、海も星も、宇宙にあるすべてのものを持っています。僕たちはみな、同じ手によって作られ、同じ魂を持っています。僕はあなたのようになって、世界中、どこにでも行けるようになりたいのです。」

―『アルケミスト 夢を旅した少年』パウロ・コエーリョ、1997年角川文庫、p.174


主人公が砂漠の部族に捕らえられて、「自分を風に変えてみせます。それができなければ命をさしあげます」という約束をしてしまう。そして風に語りかけはじめるというシーン。

これまではきっと読み流してしまっていたのですが、おまえと私は別だ、と言う風に対して「それは正しくありません」と少年が話し出すところで、胸に暖かい感覚が流れはじめました。

風と自分が「まったく別のもの」だと思うようになったのは一体いつからなんだろう?

自分と自分以外の者を区別して、壁を作ってしまったのはどうしてだったろう?

世界と自分は別々のものだっただろうか??

ちょうどそんなことに思いを巡らせていたところで、まさにそのヒントを与えてくれる言葉たちだな、と思ったのですね。

そういうことを教えてくれる大人はあんまりいなかったけれど、本当は、海も星も、風も、すべてが自分の中にあって、自分と同じものだったはず。私たちは同じく大いなるものから生み出された、同じ源をもつもの。私たちの深い意識はちゃんとそれを知っている・・・。

そんな風に感じてみると、ベランダの窓を揺らす風の響きも少し今までとは違って感じられるような気がするのでした。

(「おまえと私はまったく別だ」なんて、本当は風のほうは思ってもないのでしょうね。あれは少年の中の、そして私たちの心の中の世界に対する呟きだったのでしょう。)


ちなみに風といえばこの方。

本当に内なる風に吹かれるように生きている人だなあ、と思います。「もうええわ」、この曲で、何が大切なのかよう選んで、という言葉にはっとして、聞くほどにもう手放そう、と思えることが増えました。世界には素敵な人がたくさんいるなあ。



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