あなたが転んだんだよね?
少し前のことですが、忘れられない話があります。
ある時、大富豪の女性に出会いました。
あまり詳しくは書けないのですが、たぶん、私の人生で出会った中で一番のお金持ちでしょう。
彼女はTシャツに穴の開いたジーンズという素朴な出立ちでしたが、その身にまとう空気や話す言葉のアクセント、話題の繋ぎ方などがそれぞれ微妙に一般的なものと少しずつずれていて、脳の回路が追いつかなくてクラクラしました。
宇宙からのギフトを素直に受けとって、魂を輝かせて生きている人というのはこういうことか・・・と思いました。
淡々と静かに、けれど情熱的に、りんりんと生命の炎を燃やして生きている。
こんな人が地球に存在していること、その存在に現実に出会えた自分、素晴らしいなあ、よかったなあ、と心から思いました。
そんな彼女の話の中で、印象に残っていることがあります。
泣き出した男の子
彼女もまだ小さかった頃、5歳くらいの男の子と遊んでいた時に、その子どもが走っていて思いっきり転んでしまったそうです。
膝から血が出て、今にも泣きそうな男の子。
すると向こうの方から心配した大人がやってきて、それを見た瞬間、「うわぁーーーん!」と声を上げて激しく泣きはじめた。
彼女は驚いたそうです。
なんで大人が来ると泣くの?
彼女はその男の子に声をかけました。
「あなたが走って転んだんだよね?」
ぽかん、とする男の子。
「その血はこうしたら止まるけど、それでどうする?
私たち、今からあっちに行って遊ぼうと思う。あなたは付いていくこともできるし、大人に保健室に連れて行ってもらうこともできる。あなたが選んでいいよ。
もう5歳でしょう?自分で決められるよね?」
男の子は泣くのをやめて、また一緒に遊んだそうです。
———
雑談のような短い話だったのですが・・・聞いていて、思わずはっ!としました。
私はその話を聞きながら、ああ、その男の子の気持ちわかるな、と思っていたのです。痛くてどうしようもない時に頼れる人が目の前に現れたら、私もほっとして甘えたくて泣いちゃうよな、って。
でも・・・
「あなたが走って転んだんだよね?」
彼女は怒ったわけではなかったし、その言葉には一切の裁きの響きもありませんでした。自然のようにあるがまま、優しく厳しい言葉。
だからこそなおさら、よく研がれた刃のように気持ちよく心に刺さりました。
そうだった。私が走りたくて走りだしたんだった!
こういうこと、結構やってるよなぁ、と思いました。
自分が思いっきり走って勝手につんのめって転んだのに、まるでなにか大変な被害に遭ったみたいな顔して人に訴えること・・・。苦笑
「それでどうする?あなたが選んでいいよ。」
そうか、自分が選んでいいんだ、と思いました。
もちろん、転んだら痛いし、ケアは必要。心配してくれる人がいたら嬉しいし、気が済むまで甘えて泣くことも大事な時はあるけれど。
保健室っていうのもなかなか魅力的な響きなんだけど・・・。笑
ちゃんと傷を見たら、案外もう血は止まっていたりする。
自分の奥から声がする。
「みんなと遊びに行った方が楽しそう。僕、泣いているより、楽しい方がいいな。」
そして男の子は立ち上がる。
なんだかそんなイメージが自分の内側に浮かんで、そうしたらふっと心が軽くなったのでした。
もし今、精神的にも物理的にも(?)、転んじゃったな、と思っている人がいたら、届いてほしいな、と思うお話です。