プラトンの『饗宴』での神話と映画達
※このnoteは、プラトンの『饗宴』以外にも、映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』、『ハーフ・オブ・イット』、『君の名前で僕を呼んで』のネタバレを含みます。ご注意ください。
「昔々、人には、男性、女性、アンドロギュノスという3つの性別があった。アンドロギュノスというのは、男性と女性それぞれの特徴を持っている第三の性。それぞれがあまりにも強く賢く反発する力を持つ為、ゼウスがそれぞれを真っ二つに割った。元々女性だったものは片割れを求めるように彷徨う女性同性愛者に、男性だったものは同じ男性の片割れを求め(『饗宴』では少年と成人男性とされている)、アンドロギュノスだったものは、現代でいう男性と女性となり、それぞれを求めるようになった。」
■プラトンの『饗宴』を読んでみた
上記の神話、あまりにも様々な映画で引用されているので気になって原作を読んでみたわ。原作はプラトンの『饗宴』。簡単に内容を話すと、「昨晩の飲み会マジ飲み過ぎたから、今日はとりま酒飲まないで"エロス"について話さね?」という事で繰り広げられた詩人や哲学者等、当時のインフルエンサー達の会話よ。
"エロス"という言葉が、ギリシア神話に登場する恋や性愛の神の事を指したり、人間の欲求全般の事を言ったりと忙しく駆け回っているのだけれど、「性愛」という意味合いで取り上げられる事が多いかしら。
■エロスの本質は"欠いている事"としたアリストファネス
さて、この「人間にはかつて3つの性があった」という神話は、エロスについてのスピーチの順番が回ってきた喜劇詩人アリストファネスが言った事なのよね。本書では他にも、エロスについて様々な意見が飛び交っているから、気になる方は読んでみて欲しいわ。
アリストファネス曰く、太古の人間は3つの性があって、それでいて賢くて強くてエネルギッシュで、今の人間と比べ物にならないくらい完全に近かったようなの。
男性は太陽、女性は地球、そしてアンドロギュノスは月が由来とされた。月は太陽と地球、それぞれの特徴を持つからという理由よ。
だから太古の人間は丸い形をしていたし、足や手も今の人間の倍あったらしいんだけれど、この想像力おぞましいわと思ったわね。この想像力だけでこの人3年は何も食べずに生きていきそうよね。
ゼウスに身体を真っ二つにされてから、それぞれの性はお互いの片割れを求めるようになったから、この求める行為、つまりエロスは"欠如している事に本質がある"としているわ。
■上記の神話に対しての名作映画達のリアクション
私が観てきた映画の中で、3つ程、この神話についてメッセージのある名作を書いていきたいと思うわ。
①『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001年)
映画の冒頭から、「人間には3つの性があった」という説明から始まるわ。主人公は性別適合手術を受けたんだけど、上手くいかなくて股間に"怒りの1インチ"が残ってしまったシンガーで、幼い頃に母から聞いたプラトンの『饗宴』の話を信じて自分の片割れを探すわ。
ただ、最後に主人公は気付くわ。求めていたのは自分の影で、自分は何も欠如していない、もう既に完全なんだと…。
性別違和を抱えて生まれた事、そして手術が上手くいかず理想の姿になれなかった事、それは決して欠如している事ではなかった。自分は、ありのままの自分で完全なんだと気付く時の主人公の姿は美しいわ。
②『コール・ミー・バイ・ユア・ネーム』(2017年)
「君の名前で僕を読んで、僕の名前で君を呼ぶ」
ああ、なんて甘い台詞なのかしら。この映画、美しさと妖しさが絶妙に交じり合っていて大好きな映画よ。
この甘い台詞は、自分という存在を特定する名前を相手に対して使う事で、
自分と相手との境界線を曖昧にして、そのまま同一化したいという意思を感じるわよね。
まさに片割れを求め、それと一体化しようとする言葉よ。
つまりこの言葉、ほとんど性行為よ。
③『ハーフ・オブ・イット』(2020年)
こちらも冒頭で3つの性について述べているわ。
そして「人は片割れを探し過ぎなのかも」という台詞と共に物語は始まる。
映画のタイトルも意識されているわね。
才色兼備で完璧に見える学園のアイドルに恋する男の子、そしてその男の子に頼まれてラブレターを代筆する女の子、そしてラブレターを交わすうちにアイドルに惹かれてゆく女の子…。
知的なキャッチボールが軽快で、その中で三角関係を様々な視点から切り込んでいるわ。愛の定義を序盤で提示して、それに対して物語が展開していくというものね。
結果として、「愛は自分で定義するもの」という事が強く主張されているわ。愛って、片割れを見つけることでもないし、利己的でおぞましいものだったりするし、努力しなきゃいけないもの。主人公はそう愛を定義していたわ。貴方の愛は、どう定義するかしら。
■あなたのエロスは何
以上、哲学等についてはド素人だから個人的解釈が盛りだくさんなのは見逃してほしいし、もし違った解釈や誤った解釈があればご教示頂きたいわ。
やはり、LGBTQ+の要素のある映画については、この作品について触れる映画が多いみたいね。あまりにも今の形と違うし。
また、「欠如しているから片割れを探す」という姿勢に対して、様々な解釈や受け取り方をしている映画があって面白いわね。
これを読んでくださる少数の方々は、エロスに対してどんな解釈をしているのかしら。自分は欠如しているから補うように片割れを探したい、自分に持ってないものを持っている人に惹かれる、私は自立した人間だし、相手にも自立した人間性を求める等、様々な形があると思うわ。
あくまで神話よ。(まあこの世のほとんどものが神話なのだけれど)
自分なりの解釈をして、自分の人生を生きましょうね。