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なまくら坊主
今日は仕事が休みだったので、久しぶりに母と小一時間しゃべる時間があった。
母と息子と猫1匹。一緒に暮らしているものの、生活のリズムは違うので話す機会はそんなに多くない。母も猫も、だいたい寝ているような気もしないでもない。
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小一時間喋ったといっても特に重要な話もなく、だいたいが母のなんとも言えない話を一方的に聞くのみ。仕事で高齢者の方の話は同じ話を何度でも聞くことができるのに、母の取り留めのない話は、話している最中なのに2階の自室に上がっていって強制終了させるほど聞けない時がある。ぼくが2階にいなくなっても、ひとりで喋っていることもあってちょっと笑える。
高齢者との会話は、会話すること自体が目的なのでむしろどんどん喋ってほしいと思って聞けるのだが、母の話は結論が見えないまま前提の話だけがダラダラと語られるので、せっかちなぼくは腰を据えて聞いていられないのである。これは職場、デイサービスで働くお姉様方の話もそうで、お姉様方が盛り上がっている会話の輪には意図的に入らないようにしている。怖い。なんか、おけつがむず痒くなってしまうのだ。
しかし今日の母との会話は少し面白かった。
「寝る時、部屋を真っ暗にして目をつぶっていると、自分は死んだらどんなふうになってしまうのだろうかと怖くなるときがある。天国いくのかな?地獄へいくのかな?地獄ってどんなところなんだろう。」
ぼくは内心「ちょっと何いってるかわからない」とサンドウィッチマン的なツッコミをいれつつ「死んだあとの誰もわかっていない不確かなことをいくら考えても無駄やって」と超現実的をぶつけさらに「生きてるうちに地獄ってあるの知ってる?生き地獄って言ってね、病気や金銭、人間関係に苦しむことだって死後の前に存在してるのよ。生き地獄に行く人はね、無駄遣いしたりとか、暴飲暴食したりとか、人を傷つけたりして人の道を外れた人が行くんだよ。自分のことばかり考えて、周りの人に与えていない人は晩年放っておかれる。逆に周りの人に与えて助けてきた人は、その行いが返ってきて感謝や喜びに包まれる。生きているうちから天国にいけるわけだな。よく自分を無くしなさいとかいうでしょ。我を捨てなさいとかいうでしょう。それは相手のことを優先して相手の為に自分を捨てれるかということ。それが天国へと続く道なのですよ。わかったら、悩んでも仕方のないことに悩みなさんな。ぼくは高齢者施設で介護を学んでいるのではなく、人の生き方を学んでいるのです。」
ぼくはちょうど丸坊主。
母はぼくに合唱し、妙に納得した顔で頭を下げた。
「さぁ、お布施なさい。お布施をしなさい。お布施、お布施です。お布施ですよ。」お布施チャンス。
「このなまくら坊主!修行が足りん!出直してこい!この雑念と煩悩の塊め!2階へ行け!」
お互い、悟るまでにはまだまだ学びが必要のようだ。
昼下がり、猫は毛布にくるまって微動だにしなかった。
きっと呆れている。
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