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名前はことぶき、年齢は29歳、実家は書店を営んでいます

お久しぶりです、ことぶきです。
2025年になったこともあり少し自分語りをさせてください。

起承転結もそんなに無いですが、自分と書店という最高の娯楽空間について書いています。
少しでも興味があれば最後まで読んでいただけると嬉しいです(*^^*)


『…私に 本を読んでくれて ありがとう』

A県出身。東京都在住。出版関連の仕事をしている29歳。
自己紹介で一番驚かれるのは実家が書店を営んでいること

人口20,000人ほどの大きくは無いA県I町、そこにことぶき書店(仮称) 兼 我が家がある。
私が生まれた時には既に書店として生計を立てており、
物心ついた時から本に囲まれていたというのが誇張表現では無い状態だった。
(赤ちゃんの頃の写真を見ると背景に本棚がたくさん並んでいる)

実家が書店というだけで他の人よりも得に感じる経験を何度もした
幼稚園児の時には「本屋のことぶきくん」と周りからチヤホヤされ、
小学生の時にはマンガを何でも知っている博士のようにもてはやされ、
中学生の時にはオススメの本を聞きに別のクラスの友達が話しかけに来るほどには人気者になれた。

さらに極めつけは高校生の時。
今と比べてネットでモノを買う時代でも無かったので、
周りの友だちは「あの本を買いたい」となった場合には学校の帰り道に書店に寄るしかなかった…

でも「ことぶきの家が本屋」と知られたことで
「買いたい本を学校に持ってきてくれないか?」と友だちから注文を受けるようになった。

ある時は「ONE PIECE」の最新巻を売り歩き。
またある時は「物語シリーズ」の最新情報をエサに友達からの客注を取り。
またまたある時は少女漫画に疎い自分でも知っている「俺物語!!」のセット注文を受けた。

今考えると高校の先生は何故黙認していたのか?こんな販売方法が許されるのか?
と思ってしまうほど多くの人がことぶき書店を外商として利用してくれていた
というような感じで高校生の時からビジネスを少しかじるような経験ができた。

家に帰れば何万冊の本がある、というのは読書好きには夢のような空間であり、今でも小さい時に親が読み聞かせをしてくれた

  • からすのパンやさん

  • ルドルフとイッパイアッテナ

  • あらしのよるに などなど

たくさんの絵本が1ページ1ページ鮮明に思い出される。
何冊も読み聞かせをしてくれた親には感謝してもしきれない
いずれ自分も親になった時には子どもにたくさんの絵本を読み聞かせてあげたい。

『まだ慌てるような時期じゃない』

そんな高校生までの貴重な経験を追い風にして、
2014年の大学進学を機に、
長年住み慣れた地元を離れ関西へと一人暮らしすることになった。

地元を離れて関西に行くことに関しては、書店を営む祖父母と両親は何も言わなかったが、
心の底では実家を継いでくれるのか?ということを間違い無く気にしていたはずだ。
ただ書店経営の厳しさは家族が一番分かっていたので、
「ことぶきから家を継ぎたいと言わない限りは何も言わないでおこう」と思っていたと思う

ことぶき青年にとって実家の書店は小さい頃から当たり前のようにあった存在で、
親が存命のうちはずっとあるだろうと特に心配などしていなかった。

進学した大学では、特段これを学びたいという分野は無く、
メディアや出版関連の仕事に就きたいなと漠然と思っていた。
(ここで恐ろしいのが、出版関連の仕事に就きたいと思っているのに、
 実家のことぶき書店を継ぐことは一切考えていないこと
である)

大学に進学して一人暮らしになったことで、実家の書店を目にする機会は途端に減る
そんな頻繁に帰れる距離でもないので、
毎年のゴールデンウィーク、お盆、年末年始の多くて3回帰省できたら良い方だった。

帰省できないのに比例してことぶき書店を見る機会も減った。
よく子どもが久しぶりに実家に帰ると両親に皴が増えていたり、白髪が生えていたりで
歳を取っていることを実感して寂しく感じるのが通過儀礼だが、私は書店の内装でそれを痛感した。

ことぶき書店では本以外にもジュースやお酒、お菓子にアイスなど食料品や飲料品も数多く販売しており、
アイスなんかは駄菓子屋さんにあるようなアイスボックスで販売をしていた。
ただ大学2年生の時に、それらはほとんどが店から消えた
家の周りにドラッグストアが多数出店したのだ。

ご存じの通りドラッグストアは利益率の高い「化粧品・医薬品」が充実しているため、
日用品や食料、飲料などはスーパーよりも安い破格の値段で販売することができる。
こうした影響もあってことぶき書店で販売していた食料や飲料は綺麗さっぱり姿を消した
アイスボックスですらどうやって処理したんだと思うほど跡形も無かった。

またお店にある本の冊数も減っていった
一時期は文芸書やビジネス書も背差しで陳列をしている棚も多くあったが、
気づけば表紙を見せる面陳の棚ばかりになった。
単にお客さんへの訴求力を高めたかった訳では無く、
お店の在庫を少しでも減らして赤字幅を縮小したかったのだろう…

そうなると店舗の密度が小さくなって冬場は心なしか店内が寒く感じるようになった。
さらに大学4年生で帰省してた時には店内の有線放送も消えていた
母親曰く「お客さんがいない店内で流れている陽気な曲ほど寂しいことはない」とのこと。

ことぶき書店はこれからもあるだろうという淡い願いは泡のように消えつつあった。

『一体いつからーーことぶき書店がまだ経営していると錯覚していた?』

大学を卒業したことぶき社会人は、
ご縁に恵まれて今も勤めている出版関連の会社に就職することができた
それに伴い一人暮らしの住まいは関西から東京へと変わった。

社会人になると実家に帰るペースはさらに減り
1年に1回帰れば良いくらいになってしまった。

そんな社会人になって4,5年目の年が明けてすぐに母親から突然の電話が、、、
「来年には店を閉めるから」
それを聞いた瞬間、身内に不幸があったのと同じレベルで衝撃を受けた。

生まれた時からずっと近くにあってくれた書店
自分は書店の子どもであるという自尊心を育ててくれた書店
就職が上手くいかなかった時にはお世話になろうと思っていた書店

地元の人にも愛されていたお店だっただけに、
「売上があまり立たなくても営業を続けていけば良いじゃないか!」

…そういう想いが自分勝手なのは分かっている。
ことぶき書店には様々な恩があるのに、その恩を返してあげられなかった。
社会人になってからは滅多に帰省せず、それでもずっと営業していてくれると思っていた。
出版関連の会社に入社できたことで、具体性のカケラも無い救済方法を勝手に夢想していた。
私が思っているよりも何十倍の速さで書店離れは加速しているのだ。

母から電話があった日の夜は近くの公園で1人涙を流した。
遊具は無く、あの背伸ばしに使われる通称背伸ばしベンチしかない公園だった。
(名は体を表すことこの上ないベンチである)

「いつでも背筋を伸ばしていいんやで」
というベンチからの声に全く耳を貸すことなく、ジョーのようにずっと前のめりだった。

そんなこともあって、現在の私の自己紹介は変化した。
「名前はことぶき、年齢は29歳、実家は書店を営んでいました

それでも出版業界というまだ大きな市場で私がやれることはあるはずだ。
喫茶店や電車内で本を読んでいる姿を見て自分も読書始めてみようかなと思ってくれる人がいるかもしれない。
Xで読了ポストをすれば影響を受けて買ってくれるかもしれない。
この記事を読んで久しぶりに読書を再開してみようとする人がいるかもしれない

本当に小さな売上かもしれないけど、
こうした一歩が出版業界の明るい未来にいずれ繋がると信じて
ことぶき書店に返せなかった恩を出版業界に少しでも還元できると信じて。

これからもXでの投稿は続けたいし、noteでも何かを伝えられるようにしていきます。
長々と自分語りをしてしまいましたが、今回はここまでとします。
ダラダラとした長文を読んでいただきありがとうございました!

さてと、今から何の本を読もうかな~!

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