超短編小説『平成 僕は生き残れそうです。』
inspired by 折坂悠太 『平成』
僕が平成の間に成し遂げたことは何もない。
平成が始まって5年がたった年に僕は生まれた。だから平成が終わるときには26歳でそれはつまり、ほどほど若者でほどほど大人だっていうことだ。
26歳の年齢っていうのは、ほどほどだと思う。26歳までに何かを成し遂げた人はたくさんいる。
メジャーデビューした歌手がいれば、オリンピックの金メダリストもいる。それも一つの競技じゃない。二連覇している人だっている。MLBの選手もいれば、NBAの選手もいる。テレビをつけれればそこには絶対26歳か、僕よりも若いタレントが楽しそうに話している。
最近、あるテレビタレントの笑顔が素敵でツイッターをフォローして、ウィキペディアを調べた。彼女のことを僕はずっと年上だと思っていたのに彼女は僕の2つも下だった。
僕よりも年下でお金をたくさん稼ぐ人もいるし、とっても有名な人もいる。
と、言っても、そうやって目に見えて成功している奴というのは人口で見てみると何万分の1と言う確率で、それはひょっとすると交通事故で死ぬぐらいの確率しかないのかもしれない。
でも、僕が高校の頃隣の高校の直接は知らない2つ年上の生徒がトラックに轢かれて死んでしまったと言うニュースが流れた。
彼は生きていたら28歳なのか。彼は童貞で死んだだろうか(あるいは数回は経験したかもしれないけれど)。28歳まで生きれたのなら多分童貞は卒業していただろう。
なんてことを書くつもりだったんじゃなくて、僕がこの生まれた元号「平成」に残しておきたい言葉というのを考えていたのだけれど、結局かっこいいことは何も思い浮かばない。
僕が平成に成し遂げたことは何もない。
お金持ちになったり、有名になったり、そう言う目に見えた成功をしていないけれど、友人のほとんどは結婚したし、子供がいる人だって少なくない。
僕には両方ない。彼女もいない。
そうやって、今まで育てられていた側の僕らが育てる側に回っていくんだなって思うことが多くなった今日この頃。
僕は地元の、家に一番近い小学校に通い、中学に通い、一応は進学校だけれど進学先は地方都市(それが僕の地元だ)のFランクの大学ばかりと言う公立高校に通い、そしてFランクの大学に通い。ほどほどにバイトし、ほどほどに就職活動をした。就職活動には失敗して地元の農家で働いていた。月給は15万。今は東京に出て、アルバイトをしながら暮らしている。
26歳で億万長者もいる。金メダリストもいる。有名人もいる。フォロワーが百万人以上いる人もいる。いろんな26歳がいる。家庭を持っていたり、子供がいたり。
でも、僕は平成に何も成し遂げていない。
僕が平成になって5年経った日に生まれてから、26年。今死んだとしても、特に困る人もいない。なんの26年だったのだろうか。
不況が悪いのかもしれないし、政治が悪いのかもしれない。あるいはその両方かもしれないけれど、僕が悪いのかもしれない。
もうすぐ、平成が終わる。
だからどうって言うわけじゃない。
時代の区切りを感じてるのは日本人だけだ。
でも、ああ、僕は平成に何も成し遂げれなかったな。
次の時代も成し遂げれないかもしれない。
ただ、僕には思うことがある。僕は少なくとも平成という時代、生き残ることができた。悲しいことがたくさんあったし、苦しいこともたくさんあった。今はお金もないし、安定もない。
ただ僕は平成の間、死ななかった。
たくさんの人が平成の間に、次の時代を見れないで死んだというのに、僕は死ななかった。
だから、僕が平成に成し遂げたことといえば「生き残った」ことだ。
次の時代を見れなかった人の分も、次の時代も生き残りたい。
平成の終わりは世界の終わりじゃないんだから。