起立性調節障害だったらしいー不登校時代ー
不登校時代。
朝起きると体が重い。頭が痛い。だるい。クラクラする。
学校に行こうと思っても、起き上がれない。動けない。家を出られない。
それがなんのせいなのか、心の問題なのか体の問題なのか、幼い当時は自分ではよくわからなかったわけで。
もちろん学校へ行くストレスからだろうなと思いはしたんだけれど、それにしても、体調自体が悪すぎやしないか?
学校休むことに決めてる日でも、変わらずすごくしんどかったりするし。
何ヶ月も不登校を続けてる状態でも、今は行かなくていいって割り切れてるタイミングでも、元気になる気配ないし。
そんなわけで、カウンセリングだけじゃなくて、小児科にも何度も行っていた。
その中で、ぼんやりと一度だけ。
親から病名めいたことを言われた記憶があって、でも細かいことは聞かされてない。
その名前を覚えていなかったんだけれど、最近になって色々調べていて、
「起立性調節障害」
という名前に辿り着いた。
起立性調節障害は、自律神経の働きが悪くなって、起立時の血流が低下する病気で、
症状は、
・起き上がると立ちくらみ、眩暈がする。
・朝になかなか起きられない。
・午前中は体調が悪く、食欲不振。午後になると回復する。
・倦怠感が強いが、横になっているとまし。
などがあるらしい。
当てはまりすぎる。これでしかない。
そう思って母に聞いてみたところ、やはりそう診断されていたらしい。
じゃあなんで、ちゃんと私に説明してくれなかったんだろう。
もし言ってくれていたら、「私の体はどこか変なのか?」という漠然とした不安から解放されていたかもしれないのに。
学校にも伝えてなかったんじゃないか?
まあ伝えていても学校が良い対応してくれたかは知らないけどさ。
ポンポンっと浮かんだ疑問を、今サラッと母に聞いてみたら、
「障害」と名前につくものを言ったら、学校からの捉えられ方がややこしくなったら嫌だし、私が不安になるかもしれないし、と思って言わないようにしていた。
端的に言うとそんなような答えが返ってきた。
なんとも反応し難い答えだった。
その考えもわからなくはない。
恐らく母もよくわかっていなかったのだろうし。
その頃の私がもし聞いていたとして、
より不安にならなかったのかと言われれば、その自信もない。
「病気」なら、学校にも私にもしっかり伝えていたのかもしれない。
でも名前としては「障害」と付いている。
恐らく母としては、偏見の目を恐れたのだろうと思う。
説明してくれなかったことを、責められはしないと思った。
色々な場面で、「名前」というものの難しさを感じる。
カテゴライズして名前を付けることで、それに対する理解が広まりやすい部分はある反面、
名前の持つイメージでバイアスのかかった見方をされることが多々あって。
、、とこの話はまた別記事で書くことにして
起立性調節障害は自然に治っていくことが多いようで、私は何か治療を受けたわけではないけれど、今は治っている。多分。
高校に入って、段々と朝の時間が苦痛に感じることはなくなったように思うし、
大学からに至っては、たいして寝ていなくても連日朝から動き回り続けられるパワフルな人間になった。
精神的に元気なことはもちろん大切だけれど、まず体が動かないことには、心も元気でいられない。
心と体の相互作用。
私も起立性調節障害かもしれないな、と感じている方たちには、
とりあえずゆっくりして欲しいです。
ゆっくりしてていいと思います。
だって病気なんだもの。
そしてきっと治ります。元気になります。
そのしんどさはずっとじゃないです。きっと。
元気に起き上がれるようになったら、
その時頑張りましょう!