2016年6月9日 午前3時

作品の制作衝動についての考察
 普段の生活の中で急に何かに取りつかれたように楽曲や詩を書きたくなることが私には多々ある、私ははっきり言って音楽に真面目に向き合っているタイプではない私がするには明らかに異常な行動だ。これについて2016年6月9日の午前3時、何かに書きながら考えたくなったので考察してみようと思う。
 そもそも私という人間は非常にいい加減でありながら、何かを我慢することが非常に苦手な部類の人間であり、基本的に自分の思ったことはすぐ口に出してしまうような人間である。尚且つ飽き性な性格も相まって何か一つを継続的に続けるには、まったくもって向かないタイプなのだ。なぜそんな私が「音楽」、或いは「楽曲の制作」というものにここまで依存しているのか、できるだけコンパクトにひとつずつ考察してみよう。
 まず、私が音楽に触れるきっかけになったのは中学校1年生の頃に、持病の腸ヒルシュプルング病により、小学校からの念願だったサッカー部への入部間もなく、痔によって体の循環器に異常をきたし、退部しなければなくなってしまったところにある、13歳の少年にとって、そのことは非常に恥ずかしいことであり、入ってすぐの部活を辞めるという行動は周囲から見てあまりいいものではなかったであろう、また、もともといい加減な性格の私をよく思っているものはあまりいなかった上、そこまで社交的でなかった私は極度の落ち込みぐせがついてしまっていた。そこで偶然近所の洋服屋の店員さんがギターを弾いているのを見て、特に音楽に興味はないが、周囲の目線を変えるきっかけになるであろうと始めたのが音楽である。少し長くなってしまったが、この流れを見てわかるとおり私は音楽に全くと言っていいほど興味がなく、そこまで深く関わる気もなかったのである。
 楽曲をつくるようになったきっかけはそのすぐ後だった、飽き性な私は楽曲をひとつ覚えるまでに練習をほっぽり出す事が多く、1曲として完奏できる曲を持ち合わせてはいなかった。そこで中学生の少年は考えた。「自分で作った曲なら完奏できるのではないか」「間違いをしても作ったのは自分なのだから誰にも気づかれないのではないか」とかなり安易な考えで楽曲を作り始めた。しかし、音楽のことをほとんどよく知らない私が何かを作れることもなく、何かのフレーズを考えてはケータイに録音したりするだけで何一つ楽曲を作るには至らず、1曲を書き上げられるようになったのは高校1年になってからだった。
 それぞれのきっかけはこういうものだが、なんだかんだ音楽にどっぷりはまった要因は、中学校特有の人間関係によるものが大きい、順応出来ない者はスクールカーストというものの影響をモロに受け、尚且つどんくさい私はイジメ、或いイジリの対象になることが多かった、はっきり言って普通の生徒ではなかった私は、ほかの生徒から見て奇怪な行動をすることも多かったようだ(当時の同級生談)、自分が普通の生徒に馴染めていないということを最初は気にしていた私だったが、あなりにも馴染めないことから妙なこだわりが生まれ始めた。「自分はほかの人とは違うんだ」「変人でもいいじゃないか、普通なんて真っ平御免だ」とひねくれ始めたのだ、その時14歳だったわけだが、幸か不幸かその時期に青春パンクと呼ばれるジャンルのバンドに出会ってしまう、主に学生が持つ衝動や、私のようなクラスの端っこにいるような生徒目線の楽曲が多かったためか、私は異常なまでにその音楽にハマり、表現の自由さを噛み締めていたのだ。
 要因の一つはここまで話したとおりだが、なぜここまで曲を書く事をやめていないかの理由がわからない、もういくつか考えてみる、早く核心に行きたいが少しずつ行こう、まだ3時半だ。
 ギターを練習するようになったのは高校生になってから、それまでは貪るように弾くだけで、練習という練習はこれといってやってこなかった。きちんと練習するようになるきっかけは、高校では部活をやってみたいという願望から、クラスの友人数名に楽器を教えようと考えたところからである。見栄っ張りな私は恥をかきたくなかったので、友達に教える前夜は一生懸命になって練習した(友達の方が伸びが早くてすぐに追い越されたが)。それから少しずつ楽曲を完奏できるようになっていった。そうこうしているうちに、楽曲も丸々1曲書けるようになっていた。お世辞にもいい曲とは言えないものばかりだったが、その当時思っていることを正直に言うことに臆病になっていたからか、楽曲の中で思っていることを言うことに快感を覚えていた。それからやめられなくなったのだが、当時やっていたバンドでは好きなことをやれることはほとんどなく、自分の中で思っていることを公園などで歌って吐き出していることがほとんどだった。大学生になってからやっと認めてくれる人が出てきて、それからは麻薬中毒者のように楽曲を書いてきた。
そうやって人前で演奏して自分の曲が認められる快感に溺れていた私だったが2015年3月30日の深夜からそれが苦痛になった。いや、もしかしたらもっと前からかも、話がそれるので続きを考えよう、少しコーヒーを淹れてくる、時間は3時43分だ。案外ぱっぱとかけるものだ。
結局ホットミルクを淹れた、夏を手前にこんなものを飲んでいるのは私くらいだろう、はっきり言って少し疲れてきた。続きは気が向いたら書こうか、ここで筆を止めたらもう書けない気もする、まぁそれもいいだろう、それじゃあさよなら。

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