たしかにな
【重大なお知らせ】
今日のはある宗教のお話です。手が込んでて気に入っています。
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そして・・・ここから重大発表!!
今月ニューアルバムをリリースします。
タイトルは「KIND OF RED」。
予約受付を開始しました。
諸事情で正式な日程が確定できていませんが今月中には必ずお届けします。
11月までに購入して頂けると、2曲、アルバムに入らなかった曲をプレゼント。データ販売有。
予約はこちらから。
コンセプトなどはこちらから
これは、言音(ことね)という、現代音楽家の市川ロ数(イチカワロスウ)と、詩人の私で活動しているユニットの新作です。
言葉と音のまだ自分たちも聞いたことが無い着地点を探っています。
同じ世界の中の異なる世界を生きる私たち。
それでもなおどこかの場所で寄り添えないか。
同じものの中に宿る全く違う世界。
同じ事象について話をしていても、
同じ問題意識を持てず、バラバラのことを話す現代。
同じものの中から何を見出すか、
何かを見出したとして他の別のものを見出した人を攻撃しないでいたいな。
誰も彼も血を流さないように、最低限、寄り添える場所として、赤の気分が、このKIND OF REDが機能したらいいなと思います。
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たしかにな
一族のなかで最後のジョグボング教徒だった祖母が死んだ。
ジョグボング教の葬儀(ミビジブュ)の本当の始まりは
参列者が口の中に水を含むところから始まる。
水は飲まずに口に含み続けておくのが決まりだ。
ジョグボング教の聖典に乗っ取り、葬儀の日は、
男も女も肌のなるべく見えない、えんじ色の布に身を包む。
基本的に故人の家で執り行われ、到着すると、その家で一番大きな部屋に通され、来たものから順に円をつくるように並んでいく。
一重の円で収まらない場合は内側に二重、三重と円を重ねていく。
これはこの場にいた人間が、故人を通して、現世でも来世以降でも「縁を重ねる」というところにかかっているらしい。
参列者は話をしてはいけない。目を合わせてもいけない。
全員が揃うと、クジを引く。(ジョグボング教でいうところのサミゥグー)
そこで口に水を含み目隠しをし、葬儀が始まるのだ。
クジは、順番を決めるためのものである。
1番手の準備ができると、合図とともに全員が目隠しを外す。
1番手は、先ほどの赤い服を脱ぎ捨て、
我々の感覚では、場に似つかわしくない滑稽な恰好をしている。
そして、少し間を置き、変な声を出し身体を動かし始めた。
場に居るものが耐え切れずに水を口から吐き出す。
人にかかるもお構いなしだ。
どんどんみんな口から水を吐き出していく。
それを、場に居る人間の数だけ繰り返す。
踊るモノ、屁をこぐもの、参列者を強引にくすぐるもの、
故人の秘密を暴露するもの。
みんな笑いながら泣いている。
消費された水の量が多ければ多いほど、
その葬式は良い式だとされている。
もちろん、人間である。
自分の番が来ても泣いてばかりで何もできないものもいる。
そういう時はそいつに思い切りみんなで口から水をかける。
みんながその涙を隠すように、みんなも自分の涙を隠すように、
みんな泣きながら笑っている。
最後に私の大好きなジョグボング教の経典の一節を紹介しよう。
あなたがほんとうに悲しいときに、楽しく笑って流した涙があれば、それは誰かのいつかの涙を減らすだろう。
本当に悲しいときは悲しみで終わりにしないこと。
悲しいことは悪くなくても。
私は教徒ではないが、この言葉は子供に伝えようと思っている。
祖母の式はとてもいい式だった。それは断言する。
私はびしょ濡れでホテルに帰った。
(終)
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