物事の良い面が印象に残り、ご機嫌な時間が増える。副作用もないポジティブ習慣。慈悲の瞑想。
私が大切にしている日々の習慣は、眠る前の〝慈悲の瞑想“です。
そういう呼び名があるとは知らず、いつの間にか習慣になっていたのですが。
慈悲の瞑想の元
習慣の元となったのは、祖母の教えでした。寝室に向かう際、ご先祖様の遺影の前を通るのですが、その時に、「まんまんさんしなさい」と言われ、手を合わせるようになったのが最初でした。
〝まんまんさん“でググってみたら、近畿の方言とありましたが、南無阿弥陀仏の幼児語とのことでした。
当時は、寝る前のただの決まりごととして行っていたのですが、手を合わせて目を閉じ、5~6秒頭を空っぽにするようにしてから、何となく頭がスッキリするような感覚があって、その気持ち良さからも、自然に続けるようになりました。瞑想効果だったのだろうと思います。
生きづらさからうつ病発症。慈悲の瞑想再開へ
学生時代からでしょうか。忙しくなり、その習慣が忘れ去られていきました。
繊細なのに冒険が好き、という真逆の気質を併せ持った私は、生きづらさを抱えがちで職も転々としました。
自分の生き方を模索するうち、激しい葛藤が続き、うつ病を発症。約2年間、社会から隔絶された日々を過ごしました。
仕事復帰をし、その後は、それまでの約30年に匹敵すると感じるほどの濃い10年間を過ごしました。
この頃から、遠ざかっていたあの瞑想を、また自然に行うようになりました。
以前と同じように、横になって眠りにつく前に目を閉じて手を合わせるのですが、この頃からは、頭を空っぽにする前に、いろんな人のことを思い浮かべるようになりました。
自分の大切な人達や、これまで関わってきた人達のこと。トラブルがあった人のことや、素晴らしい思い出をくれた人。
それから、戦争や災害、いろいろな不平等で苦しんでいる人達に思いを馳せ、世界中の誰もが、少しでも心豊かに生きられますように、と祈ります。そして暫く頭を空っぽにしてスッキリしたら、眠りにつきます。
私が感じる、慈悲の瞑想の効果
こんなこと、何もできない罪悪感から逃れるための偽善だと言われれば、その部分もあるかもしれません。
しかし、数値では表せなくても、間違いなくいろいろな良い効果があると実感しています。私が感じている効果は、
① 自分の中の毒素が排出される。
その日に溜まったネガティブな感情を成仏させることができ、リセットできる。
② その日一日を振り返ることができる。
今日も自分はしっかり生きた、と確認できるような感覚がある。
③ 自然に物事の良い面を見る習慣ができる。
嫌な面が目に入っても、比較的すぐ出ていくようになり、良い面が印象に残って、自然に感謝したり心から褒めるという行動に繋がる。
人のことを素晴らしいと思うことが増え、口から出る言葉に、労いや褒める内容がとても増えたと実感しています。
心から褒めているので相手にもストレートに伝わりやすく、年代問わずの良好な人間関係構築、チームの士気向上にとても役に立っていると実感しています。
私は力強く人を引っ張る力や事務処理力などは弱いのですが、50代近くなり、こういった縁の下の力持ち的役割の大切さを実感し、自分の強みを生かして貢献している、と思えるようになってきました。
④ 「自分が、自分が」というエゴを抑えられる。
この効果が一番大きいのでは、と感じています。普段私達が考えていることというと、
・今日のお昼は何を食べようかな。
(自分の食欲や予定について)
・あのお店の割引券、今週中に使わないとな。
(自分が得をしたい)
・最近、シミや白髪が気になる。
(自分の外見について)
・明日の会議、イヤだな。
(自分が失敗したくない。恥をかきたくない。小言を言われたくない)
・あの人、自分のこと何様だと思っているんだろう、ムカつく。
(自分が傷ついた悔しさ)
・また汚れ物が置きっ放し。いい加減にしてほしい。
(自分に都合のいいように相手が動かない腹立たしさ)
・あの人、また出世したらしい。同期なのに自分は…。
(自分に対する憐れみ、情けなさ)
のように、とにかく〝自分が、自分が“ということばかりなんですよね。
私達は忙しい忙しいと口にしがちですが、実はそんなに大切でないことで忙しくして、頭もいっぱいだったりする。
慈悲の瞑想では、人のことを中心に考えることになるので、いろんな辛い状況下にいる人達のことを思ううちに、物事を見る時の目線が随分変わります。
続けるうちに自然と気持ちが穏やかになっていったのですが、これが理由なのかもなと感じています。
例えば電車が遅れて大変だった日も、不満が残らず、災害や事故に巻き込まれず今日も無事に過ごせたな、いつも安全運転で、最大限定時運行してもらい、本当にすごいな、ありがたいなぁと思える、などの変化で、結果的に、機嫌が良い時間がとても増えました。
何でも当たり前に思ってしまうと、何もありがたくなくなる。〝もっともっと“、と不足感ばかりが募るようになり、常に不幸になってしまう。
本当に大切なものは何か考えるためにも、〝自分が“を捨てる習慣は大切だなと思っています。
この習慣の効果は、自分の中でゆっくり広がる前向きな変化なので副作用がなく、とても良い習慣だと思っています。
このサイトには、いろいろな慈悲の瞑想方法が紹介されていました。
瞑想というと重く受け止めがちですが、難しく考えずに〝人を思って祈ること“と、シンプルに考えています。
ご興味ある方は、お試しをオススメします♪
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