表現する、ということとの出会い - その1
はじめまして。
ふんわり自己紹介としても書かせていただこうかなと思い、このテキストを記しています。
まず、note初心者の拙い投稿にも関わらず、スキやフォロー、フォローバックをしてくださった皆様、投稿を見てくださった皆様、本当にありがとうございます。この場を借りてお礼をお伝えさせてください。
プロフィールでもふんわり触れていますが、私の本業はダンサーです。舞台やイベントに出演したり、インストラクターをしていたり、普段は踊り手として活動しています。
静と動で言えば、完全に動の世界。
そんな私がなぜ詩としての言葉を世の中に(ひそかに)出してみようと思ったか。
経緯は色々とあるのですが、ざっくり言うとタイトルにも書いた「表現」ということに思い至ったことがあります。
ダンスも、もちろん表現です。ただそのジャンルというか種類は様々で、元々私はストリートダンスを中心に踊っていました。ヒップホップやコマーシャル(国内や海外のライブやミュージックビデオなどのバックダンサーに多い踊り)というような、いわゆる華やかなメジャー路線。メディアで活躍することを夢見て頑張っていた時期もありました。
けれど、歳を重ねるにつれて、そこにいようとする自分への小さな違和感のようなものと、ひとつの疑問を感じ始めました。
「私らしさとはなんなのか」
今の時代、流行もあってダンサーという職業は昔よりもきっと身近になりました。ダンス人口も、習える場所もとても増えて、それはシーンとしては喜ばしいことなのだと思うけれど、いざ自分に立ち返ったときにふと気付かされたのです。
「私程度の、同じような踊り手はいくらでもいる」
ということ。
それを認めることは、ちょっとした苦しみを伴うものでもありました。今いるここでは、このままでは、どこにも行けずうだつもあがらず、踊り手としては年齢とともに静かに消えていく人間でしかないという現実を直視することになるから。そうです。いわゆる夢を追う多くの人が対面する(こともある)だろう岐路に、思い切り立たされたわけです。
そんなとき、ひとつの舞台のオーディションをきっかけにコンテンポラリーダンスに出会いました。
コンテンポラリーダンスとは? と思われる方も多いかと思いますが、これまた独断と偏見に任せてざっくり言うと、よりアート性と身体性の高い表現方法といったところでしょうか。もはやジャンルという区切りを取っ払ったかのような、自由度の高い表現のひとつでもあると思います。とはいえ、私が定義できるような立場でもないので、ここはひとつウィキペディアさんの手もお借りして…(笑)ご興味ある方はご覧ください。
コンテンポラリーに出会って何が一番変わったかというと、私の踊りに対する概念のすべてがまるっと変わったと言ってもいいくらいでした。エンターテイメントからアートへ。スポーツから表現へ。と言ってしまうと語弊はあるかもしれないけれど、個人的にはそう思っています。このあたりのテーマについてはまた別記しようかと思いますが、とにかく踊りに対しての考え方も、身体との向き合い方も変わりました。
そして同時に「アートや表現としての身体」と出会い、向き合うことになったのです。
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書いているうちに当初の予定より長くなってきてしまいましたので、記事を分けようかなと思います。
次回は、
・表現との出会い、その後
・自分を見つめる、たぐる、掘り起こす
・私のオリジナリティーとは
・言葉と詩と身体
このあたりに触れていけたらと思っています。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
更新、がんばります。。。!
nami naito
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その2、できました!
Photo by EyUmika