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怒らないつよさ。

大学にいる仲の良い友達と、なんとなく苦手な人を比べたら、性格にたくさん共通点があった。

それなのに、どうして二人に全然違う印象を持つのだろうと考えて、他人に怒るかどうかの差だと気がついた。

やはり、怒る人と怒らない人だったら、怒らない人と一緒にいたい。でも、怒らず、かつ自分が幸せでいるには、ある程度の強さが必要だとも思う。

怒ってもいいことはない

一切の怒りを捨てろと説いた、セネカという哲学者がいた。

Reason herself, to whom the reins of power have been entrusted, remains mistress only so long as she is kept apart from the passions [like anger]. (Seneca: To Novatus on Anger)

この人が言うには、論理的思考は感情を無くして初めて効果を発揮できるそうだ。つまり、感情に流されているうちは、正常な判断ができない。

確かに、頭に血が上って思わずやってしまったことを、後から後悔した経験は数えきれないほどにある。

それに小・中学校にいた時のことを思い返しても、怒鳴るよりも優しく理由を説明しながら間違いを正してくれる先生の方が、信頼できたし注意された内容を覚えていた。

だから、自分が本当に伝えたいことを伝えるという意味でも、冷静に自分の考えを説明した方が良いはず。

では、どうして私たちは怒るのか

そう頭では理解していても、怒ってしまう。というより、意図的に怒る人はあまりいなくて、「怒っちゃう」ものだと思う。

脳科学者の中野信子さんは怒りのメカニズムをこう説明していた。

動物が激しい怒りを感じるとき。それは、すなわち「攻撃」するときです。攻撃するには、筋肉に効率よく血液を運び、体を活性化しなくてはいけません。そのとき脳では、別名「闘うホルモン」とも呼ばれるノルアドレナリンが分泌されます。神経を興奮させ、血圧や心拍数を上げるノルアドレナリンの働きによって、動物は相手を攻撃する準備をする。この「怒りのメカニズム」が、人間にもそのまま受け継がれているのです。(「脳が怒りを生み出すメカニズム」脳科学者・中野信子さん)

「うまく説明できないけれど、このままだと傷つき続ける。」そう本能的に察したとき、私たちは怒りという武器を振り回して、なんとか自分を守ろうとするのだろう。

そう「怒り」は、人類が生み出した生き残るための最終手段なのだ。

怒らないつよさを身に着ける

ということは、最終手段を使わずに生き残るつよさを身につければ、効率の悪い怒りで自分を守らなくてよくなる。無駄に人を傷つけることもない。

人が怒るとき、たくさんの理由がある。例えば、必要以上に抱いてしまった他人への期待や、他人からの好意を当たり前だと思う慢心、自分の考えが正しいという思い込みが裏切られたとき、私たちは怒る。

アンガーマネジメントという言葉とともに、怒りをコントロールする方法もたくさん語られている。

でも、私は怒りをコントロールするというよりも、そもそも怒りを感じなくていいくらい、つよくなりたいと思う。

他人が思い通りに動いてくれなかったとき、自分の信じる正義が否定されたときに、相手を責めるのではなく自分を振り返る材料にして、自分のできることをする。

そんな、しなやかなつよさが、内から光る輝きを作る気がするから。


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