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ひとりでも生きていける社会に

先日、職場でこんなことを言われた。
「人はひとりじゃ生きていけないんだよ」と。
話の流れとして、リモートワークで会議前にちょっとした雑談をしていた。その中で、私は「1人でも案外寂しくならないんですよね」と笑って話していたのだが、そこで言われた言葉である。

この言葉に対して引っかかってしまう部分があるのは、私が精神疾患を患っていて、障がい者として生きているからだと思う。
健常者以上に障がい者として生きる、ということは、人の助けを借りなければ生きづらいことなのだ。精神的な障がいは元より、身体障がい者の方だってそうだろう。通勤していたときは、帰宅ラッシュで混み合う駅のホームで、目が見えず白杖を付いて歩く人を邪魔そうな目で睨む人がいたりするのを見かけたものだった。目が見えない、耳が聞こえないなどのハンデがある人ですら、あんなにもごった返す人の中で、常に付き添ってくれる人がいるわけではなく、自分の力で通勤しなければならない。私はその光景を「孤独」だと思った。
実際、昨今の社会は障がい者に対して優しくなったと感じている。世の中の理解は深まり、障がい者にも暮らしやすい配慮がなされている。だから、「孤立」はしていないのだ。ただ、「孤独」なだけで。

こうして「孤独」を強く感じる反面、社会的には「人はひとりでは生きていけない」と言われると、納得できないのである。世の中の全てを自分で賄うのは無理だ。私の見えないところで私の生活を支えてくれる人たちは、たくさんいる。けれど、そのことと「ひとりでは生きていけない」ことは、別の問題のように思う。
つまり、「ひとりでは生きていけない」社会に問題があるのではないか、と考えてしまうのだ。
助けを借りなければ生きていけない。ハンデがあるから。
そうは思いたくない。私は私の力で、人生を切り開き、日々を生きて、未来に希望を持ちたい。自立して生活できることは、自分の価値を上げることに繋がるのだ。

私が自分の未来のためにできることは、こうして「考えること」、そして「考えたことを、手を動かして表現・発信すること」だ。
社会がより良くなるように、と私ひとりが考えたところで、意味はないのかもしれない。
それでも私は、良くなるほうに賭けたい。「ひとりで生きていける社会」になったら、私がより私らしく生きられる道を歩めるはずだから。

#未来のためにできること

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