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畳むとは日本の美しさの本質

先日虫干しをしたついでに、クリーニングすべきものはクリーニングに。

今は、ポリエステル素材で家で簡単に洗える着物がたくさんあるといっても、その辺のアラフィフが先輩方から頂いたり、何かの折に誂えてもらった着物(長着)には、そのようなお手入れ簡単便利なものは、残念だけれども1枚もありません。

次に着たらクリーニングに、、と思いつつも、着る機会がなかったり、クリーニングを面倒がり、虫干しだけ繰り返された可哀想な着物たち。

無事クリーニングに出せば、通常クリーニングに加えて、染み抜き、汗抜きとちょいちょいオプションもお願いすることになり、最終的には合計数万円というなかなかの出費。片手で足りたとは言っても、一番可哀想なのは私だったのではないか…

今回は、まとめて出したので仕方がない。そう、仕方がないのだ。

渋々クリーニングに出し、メールでくる見積もりにを見て「フギャ」などとどんな擬態語ですか?のような言葉を発しながら返信し、ウダウダしているうちに、手入れに出した着物たちが無事帰宅。高級でもないのに「高級きもの」などのラベル付きで発送されてくるので、受け取る時には気恥ずかしいくらいです。

さっぱりと仕上がり、手入れの詳細をそれぞれに添付してもらい、丁寧に畳まれて戻ってきた着物や帯を見ていると、いつもながらその仕事には感謝せずにはいられません。ありがたい、ありがたい。毎回感謝しているのに、依頼を躊躇してしまうことが申し訳なく、そんな自分が情けない。

それにしても、着物は畳んでも美しい。

広げればやたら大きいあの布が、素材やサイズ、しまうときに収まりのいい形や大きさとか、一歳考える必要なく、決められた場所を手順通りに折り重ねていくだけで、平らに同じようなサイズに畳めるのですから。しかも、極めてコンパクト。ドヤ顔するわけでもなく、いじけたり僻む様子もなく、むしろ凛としています。

「畳む」ことには、日本的な美しさを感じます。羽織袴はもちろん、法被やら、半纏やら、武道着だって、畳んでも美しい。

畳む
広げてある物を折り返して重ねる。折って小さくまとめる。

コトバンク

既視感しかない、ミニマリストご自慢のクローゼットに吊るされた制服などより、はるかに美しさを感じてしまいます。あくまで個人の感想です。

今回は、帯のたとう紙を交換したかったので、着物(長着)は三つ折りで。
戻ってきた着物(長着)はたとう紙から出し、長着用のたとう紙で、クリーニングに出さなかった帯は、我が家に来た新しいたとう紙で、包み直します。

手入れしてもらい、私自身は片付けただけなのに、まるで全部自分で手入れしたかのような偉そうな態度でタンスにしまい、「畳む」とは日本の美学、美しさの本質ではないか、など抜かしながら、秋のお手入れは無事終了したのでした。


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