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普通になりたいと願った日のこと

「きみも頑張ったらバラの花束をもらえるんだよ」そう言われた時、わたしはいつまで頑張り続ければいいのだろうと思った。

善意で投げかけられた言葉は、うっとりするくらい甘美で、ひどく冷淡だった。

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忘れもしない2019年3月22日。

受験した生徒は学校に集められ、各々友人との雑談やスマホで暇つぶしをしながらその時を待った。卒業してからも平気で呼び出す教師の図々しさに、わたしは呆れすら覚えていた。

「大丈夫かなぁ…」

結果なんてほとんど分かったようなものなのに、ふと心の声が漏れる。大丈夫。大丈夫なはず。大丈夫、だと信じたい。自分の気持ちを確かめるように自問自答を繰り返すが、けっして胸のつかえはなくならない。皆一抹の不安を感じていた。

もしダメだったら、友達には、親には、先生にはなんて言おう。病院から借りていたお金はどうしよう。これから先どうやって生きていこう。先の見えない未来ほど怖いものはなかった。

時計の長針が0と重なる。我先にと一斉に厚生労働省のホームページを更新し、自分の受験番号があるか確認する。「あった!」「よかった〜!」などと合格を喜ぶ声に、カチカチに緊張していた心が少しずつ緩んでいくのを感じた。

アクセスが集中しているのだろう。なかなかページの更新が進まないわたしに代わって、友人が合否確認をしてくれた。結果は合格。1週間後には看護師として働いている自分のすがたを想像すると、ひどく滑稽で、すこし憂鬱になった。

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こんな日にバイトを入れている理由は他でもなくお金がないからである。受験の2週間前までシフトを入れていたのにも関わらず、卒業旅行や新生活の費用ですべて飛んでいったわたしはバイトに明け暮れる生活を送っていた。

クレジットカードの支払い日までにいくら必要なんだっけ。頭で数を数えながら、制服に袖を通す。髪を一つに結わいて、鏡で身だしなみをチェックすると、人知れずため息をついた。

就職、一人暮らし、ローンの支払い。課題は山積みだった。更衣室から見える景色をぼーっと眺めていると、いつの間にか出勤する時間になっていたので、腹をくくって店の扉を開ける。

ピンポーンと音が鳴り、振り返った店長と目が合った。軽く会釈をしてから、辺りを見渡すとまだお客様は来ていないようだった。ほっと胸を撫で下ろす。わたしの言葉を待っていられないのか店長が開口一番に「結果は?」と聞いてきた。

尽く試験に落ちまくり留年しかけた過去があるのだから、心配するのも無理はないだろう。合格であったことを伝えると、「なんだフリーターじゃねえのかよ」「おめでとう」と残念がる様子を見せながらも祝福をしてくれた。

***

今日は、同じ看護学生の女の子とシフトが被っている。一つ歳下だが、気が利きよく笑う彼女はこの店のムードメーカー的存在だ。

発表当日は気がおけない友人と祝杯をあげていそうなのに、なぜバイトを優先させたのか疑問に思い、先日シフトが被ったときに聞いてみると、どうやら仲良くなったお客様が当日祝いに来てくれるらしい。

それは行かないわけにはいかないね〜と苦笑いすると、「本当ですよー!まあいいんですけどね〜」と口を尖らせながら言っていた。

むっとした表情も絵になる彼女にシフトが被っていることを伝えると、パッと目を輝かせ「お願いしますねー!」と抱きついてきた。こういうところが彼女の愛される所以なのだろう。

そんなことを考えているうちに、ピンポーンと音は鳴った。誰か来たのだろうか。はーい!と聞こえるように返事をしながら、扉の先まで慌てて行くと、土曜日なのにぴしっとしたスーツを着ている初老の男性たちが立っていた。

「18時に予約していた◯◯です」

凛とした佇まいからは育ちの良さを滲ませていて、直感でこの人だと感じた。そのまま予約されていた半個室の席まで案内すると、「これなんだけどさ、彼女が来るまで見つからないところに隠しておいてもらえるかな」と少し照れ臭そうに差し出され、バラの花束を受け取る。

その瞬間、ふわっといい匂いが香った。

「また後でお持ちしますね」と声をかけ、席を後にした。今まで抱えたことのない大きさの花束だ。後にこれを彼女は受け取るのだろうか。見つからないようにと言っていたので、花束は利用頻度の少ない倉庫に置いた。崩れないように横にして置いたバラの花束を見て、なんとも言えない感情が生まれた。  

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18時になり「おはようございまーす」という明るい声と共に彼女は現れた。お客さん来てるよ!とこっそり耳打ちすると、半個室の席まで小走りで行ってしまった。あの様子だときっと試験は大丈夫だったのだろう。

ふと店長を見ると見慣れないボトルを持っていた。「系列の店からもらってきたんだよ」と自慢げに言う店長は雲行きの怪しい売り上げを気にしてか、嬉しそうにしていた。

よくよく聞いてみると、お客様にモエ・エ・シャンドンとかいう高級レストランでしか提供してなさそうなシャンパンを勧めるらしい。人柄の良さそうな男性のことだ。きっと二つ返事で了承することだろう。

心のもやは一層深みを増していく。

まるで生誕パーティーでも行うかのようなもてなし方に驚いていると、準備が整ったのか店内には合格を祝う言葉と、彼女の嬉しそうな笑い声が響いた。真っ赤なバラの花束は端正な顔立ちをしている彼女にとても似合っていた。

手元に置かれていたシャンパン用のグラスには、彼女の手によってモエ・エ・シャンドンが注がれた。パチパチと弾ける泡の音は「天使からの拍手」とも言われているらしい。

わたしは拍手をしながら呆然と賑やかそうな半個室の様子を眺めていたが、どうしてもその輪に参加したいという気持ちになれなかった。

羨ましい。今の気持ちを端的に表現するならこの言葉がぴったりだろう。一瞬で、どうしてわたしには彼女と同じものが与えられないのかという思いに苛まれた。

悔しい。悲しい。妬ましい。惨め。認められたい。私のことを見てほしい。色々な感情が押し寄せて何がなんだかわからなくなる。

しかし、彼女がそのお客様と仲良くなったという日に、わたしがシフトを入れていたとしてもきっと合格を祝ってもらえるような間柄にはなっていなかっただろう。

お客様だって、まさか今この場に彼女と全く同じ境遇の学生がいるとは思わないはずだ。本当に誰も悪くなかった。悪いのはこの状況を妬ましく思ってしまう自分だった。

そうやって言い訳をして、突如芽生えた感情に蓋をしながら働いていると、たまたまその席にお酒を注ぎにいく機会が与えられた。

どことなく重い足を引きずり、席に向かう。盛り上がっている男性たちを横目に一店員として何か話さなくてはと思い、とっさに彼女がすごく喜んでいたことを伝えた。

すると、わたしが羨望のまなざしで見ていたことを知ってか知らぬか、

「きみも頑張ったらバラの花束をもらえるんだよ」

と言われた。衝撃的だった。新人のバイトか何かだと思ったのだろうか。

その瞬間、胸のどこかを小突かれたかのように感情が燃えたつのを感じて、つい衝動的に自分も今日合格発表だった看護学生であることを伝えてしまった。

彼らは一瞬驚いた後、目の前にいる店員が気分を悪くしていたことを悟ったのか何度も謝ってくれた。こんなはずじゃない。場の空気を壊してしまった後悔だけが残った。

***

もうすぐ社会人になるというのに、わたしはこんな調子で本当に情けない。恥ずかしい。心ない一言に振り回されたり、異常に人や物へのこだわりが強かったり。まるで子どもみたいだ。

こういった出来事が起こるたびに、どうしてもっと上手に生きていけないのだろうというもどかしさで胸がいっぱいになる。

自分自身で機嫌を取ることもできず、怒りや悲しみを他人にあらわにするなんて、最低最悪だ。泣けば許してくれるとでも思っているかのように気付いたら涙が溢れている自分が、嫌でたまらない。思い描いていた理想の大人とは程遠い現実を知って、余計うんざりとする。

どうして、わたしは普通になれないのだろう。
なんで、わたしはみんなと違うのだろう。
どうやったら、みんなが出来ることをわたしは出来るようになるのだろう。

わたしにとっての、'' 人と違う感覚 '' は大人になりきれないことだった。(どうして、大人になりたかったかというと、それが一般的な成長過程であり、世間が求める普通であるからだ。)

先ほどの出来事のように感情を抑えられずに考えなしに他人に伝えてしまうこともよくあるのだが、何か一つでも日常生活が上手くいかなかったら異様に落ち込んでしまうことがある。

例えば、ミスタードーナツの福袋についていた引き換え券をなくしたとか、電車のドアに傘が挟まって開くまで立ってなきゃいけなくなったとか、ほんの些細なことで悲しみが込み上げて人目も憚らず泣いてしまったりする。(正直、いい年した大人がそんなことで涙を流すのは厳しい。)

大人じゃないにしろ、「こうあるべき」姿になれないのは苦しい。結婚や出産というイベントだけでなく、仕事で成功している姿を見ても素直には喜べなくなってきた。同世代で新しいライフステージを考え始めている人がいるというのに、止まり続けることしかできない現実を見るのは辛い。

不安だった。22年という短い人生でも自分の異質さはよく分かっていた。みんな違ってみんないいなんてクソくらえだ。現実は違う。普通じゃない人間は、周囲から疎まれ、挙げ句の果てには社会から退けられるということを知っていた。

怖かった。淘汰されて尚1人で生きていく気概がわたしにはなかった。周りの人とは違うという感覚を持つたびに、どうしたって埋まらない溝を呪った。「変わってるね」と言われるたびに、普通になれない自分を嫌いになった。

でも、今ならわかる。

多分わたしだけじゃなくて、みんなにも自分が嫌でたまらなくなる瞬間があるんだって。自分のことしか見えていなかったから今までわからなかったけれど。訳もなく誰かに八つ当たりをしたり、お金でしか解決のできない人生に希望を見出せなくなったりする日が。きっと。誰かに話したりわざわざSNSに書き込んだりしないだけで。

だから、そんな人たちのことを、そしてあの日の自分のことを、わたしは認めてあげたいなと思う。

'' 普通 '' になれない自分も、'' 普通 '' になりたいと願う自分も、全部わたしを構成する一部でしかないからだ。それに、みんなも日々強がって生きているのだと思うと、なんだかこんなことで悩むのがおかしく思えてくる。

きっと、わたしの思い描いていた理想の大人も、裏では日々理想の自分と現実との乖離を苦しみ、周りの人間に置いていかれないよう必死にもがいているに違いないだろう。

人生はいい日ばかりではない。平均点にも届かない日常を過ごして、どうしようもない自分のことも愛せるようになって、やっと孤独にも不安にも打ち勝つ強さを持てるようになったり、自分ではなく誰かの成長や幸せを喜べるようになったりするのではないだろうか。

あれから1年が経った。ブログの下書きに残してあった殴り書きの文章から、自分の抱えていた苦しさや葛藤を知って、そんな自分も含めて自分なのだと昇華できるようにはなったので、少しは成長したのではないかと思う。

とはいえ、この文章を書いている今も、キナリ杯の賞金には目が眩むし、どちらかといえば自分のことが一番可愛いし、決して理想の大人になれているとは言えないだろう。

しかし、少しずつだけれど、自分のことを好きになれているような気がする。変わりたいとあれほど願っていたのに、認められるようになったのは大きな進歩だ。

まだまだ理想の自分には程遠いけれど、いつか胸を張って立派な大人になれたと言える日が来ることを信じて、一歩ずつ歩んでいこうと思う。

わたしの人生は始まったばかりだ。

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