字幕翻訳に「を止め」はあり?なし?
映画の字幕翻訳のことを考え始めたら、翻訳学校で勉強したことをいろいろと思い出してきて…
思考整理したいので、今回も字幕翻訳の話を。
気づいたかな?
タイトルの「を止め」とは、まさに上述の「字幕翻訳の話を。」で終わることをいう。
字幕翻訳には字数制限があるという話は、前回のnoteにも書いた。
限られた文字数のなかで「を止め」を使うと、述語を省略できるので翻訳家としてはかなりラク。体言止めも同様のことがいえる。
「を止め」は、観客が述語を推測しなければならない。
つまり観客に考える時間を持たせてしまうのだ。
映画は観るものであって、字幕を読むものではない。
「を止め」が使われている場合、観客が「字幕を読んで述語を考えている」間にシーンが進んでしまう。
また、言い切らない「を止め」の字幕は、観客の受け止め方しだいで解釈に誤解を生む可能性がある。
これが繰り返されると、観客は字幕を読むのに疲れ、ストーリーがよくわからなくなってしまう。
結果的に「この映画、よくわからない。つまらなかった」といわせてしまうかもしれない。
これでは、せっかくの良作も台無し。
だから個人的には「を止め」の多用はよくないと思っている。
だって、これがライターとして記事を書くときだったら「を止め」は使わないでしょう?それと同じ感覚。
本当に困ったときは使うかもしれない。でも、言葉を吟味すれば「を止め」を使わない表現が出てくるはずだ。それがプロというもの。
まぁ字幕翻訳家ではない私が主張しても仕方ないんだけどね…
私が字幕翻訳を手掛けるとしたら「を止め」は極力使わない。それだけの話である。
翻訳家がラクをするために、観客に手間をかけさせるのはダメだと思う。
翻訳料という対価をいただいているわけだから、そこはきちんとしないとね。
というわけで、字幕翻訳に「を止め」はありか、なしか?の答えは
である。
あくまでも私個人の意見であって、「を止め」を使っている人を批判したいわけではない。
ちなみに私は翻訳学校で、岡枝慎二さん(字幕翻訳界のレジェンド的存在)の弟子に字幕翻訳の基礎を教わっていたので、岡枝先生の考えの影響をかなり受けている。
ここに紹介する岡枝先生の本はかつて何度も読んだ。字幕翻訳家をめざす人に読んでほしい一冊。
字幕翻訳がテーマでも映画寄りの話はアメブロに書いているので、よかったら読んでね。