私が思う「カリスマ性」
私がすごく頑張ってやっと伝えられたことを、
鶴の一声で簡単に、それも大勢の人に伝えてしまえる人がいる。
私がすごく悩んで頑張って、やっと行動できたことを、
0秒ですぐやってしまえる人がいる。
一瞬で人の心を動かせる人
そういう人は人の心を簡単に惹きつける。
私が「みんなを幸せにしたい!」と叫ぶよりも、
「カレー食べたい」なんて何気ないことをつぶやくだけで、
人が集まってきたりする。
私はそういう人を「カリスマ性がある人」だなと思う。
SNSが盛り上がっている今、
カリスマ性がある人は数字や反応速度でよく見える。
正直、うらやましいなとか、悔しいなとか、
いろんなことを考えてしまう。苦しいとまで思うこともある。
というか、苦しくなる。
人から愛されて求められて、
生き生きしてて幸せそうに見えるから。
こんなことがありました。
個人名は絶対に出さないけど、そしてその方はとっても素敵な方だから
決して悪口ではないという前置きをしておきますね。
コロナが流行し始め、緊急事態宣言が出た春。
ご予約がぱったりとなくなり、
担当させていただけるお客様の数が一日に一人来られるとラッキー。
自粛ムードでピリピリしている中、
少しでもみんなを楽しませるものを発信しようと、
家でできる簡単なヘアアレンジの動画を投稿していました。
細かくやり方のポイントをテロップつけて、
動画編集ソフトで編集して3~4分くらいで、
我ながら結構わかりやすい動画になってたと思います。
フォロワーさんはいいねしてくれるんだけど、
それはよかったんだけど。
とある尊敬している女性スタイリストさんが、
ヘアアレンジの動画を投稿していました。
おそらくスマホのインカメで、早回しで、
数十秒でスマホアプリで編集した感じの、
解説もほとんどない、ほんとに簡単なアレンジ動画でした。
その投稿のコメント欄を見ると、
すぐに10件くらいコメントがついていました。
「かわいい!」
誰にも言えなかったけど、
スマホの電源を切って一晩泣いてました。
その方はとっても可愛い方です。アクティブでお洒落で、
フォロワーさんも私の何倍も多いし反応がたくさんあるのも頷けます。
その方がダメだとかそんなことが言いたいわけじゃありません。
ただ、私が欲しかった反応を、
頑張って作った動画でもらえなかった反応を、
こんなに簡単に起こせてしまうんだなって。
自分の無力さが惨めで悔しくて、
それからアレンジの動画を出すのをやめてしまいました。
「カリスマ性」の源になっているものはなんだろう
ここ最近、いろんな人に会いに行きました。
神戸、横浜、福島、高知、
そして地元でフリーランスに転身したパワフルな方々。
書いても怒られなさそうだけど一応詳細は伏せさせてもらいますね。
みんなそれまでの生活があったのにガラッと変えて
かなり不安定ないばらの道へ進んじゃってるパワフルな方々。
なんでそうしようと思ったんですか?って聞いたら、
みんなこう言うんです。
「なんかやれそうな気がしたから」
「えぇ……」 リアルにこんな声が出ました。
理解できません。いや、頭ではわかるんですけど、
根拠なく「やれそうな気がする」って、どういうことなの…。
いざ自分のことになると思えないんですよね。
だけど、これこそが「カリスマ性」の源なんじゃないかと思ったんです。
「カリスマ性」は「無条件に自分を肯定する力」
私が思う「カリスマ性」の原料とは。
何も理由がなくても、
「私は素晴らしい!」と思えることなんじゃないかなって。
例えば容姿端麗な人。
とくに秀でた力がなくても、ルックスが良い、ということを褒められる。
だから自然と自分のことを当たり前に愛せる人が多いんじゃないかな。
何のために生きてるんだろう、とか
自分はどうすれば社会に必要とされるんだろう、とか
そんなこと最初から頭になくて
「私は存在してて当然!」
「私は素晴らしくて当然!」
手放しでこう思える力。
これって地球に存在する生物として当然のことだと思うんですけどね、
社会生活をしていく中で、否定されたり揉まれたりするうちに
欠如してしまう人が多いんじゃないかな。
アダルトチルドレン
こうやって無条件に自己を肯定できない私は
きっと「アダルトチルドレン」の傾向があるんだと思います。
診断こそしていないけど、きっとそうだと思う。
「キモ!」
「変なの」
そうやって言われることが本当に多かったんです。
家族には絶対言えなかったけど、小学校の頃
男女ペアを組むときに最後まで残されたり、
私が使った後の蛇口を誰も使わなかったり、
いじめレベルじゃないけどそんなことをたくさんされてました。
そんな私は「存在してもいい理由」を作るように
みんなと同じドラマを見たり、
みんなが好きな音楽を聴いたりしました。
みんなができないことをできるようになったら
必要としてくれる、存在理由になると
何か特技が欲しくて絵をかいたり歌をうたったりしていました。
「無条件に自分を肯定する力」がないまま大人になってしまったんです。
他人に求められるか求められないかが基準で生きていて、
他人の評価や顔色が少しでも曇るのが怖くて、
無視や無反応を極端に恐れて、
誰かに受け入れられる、評価される自分でいないといけない。
趣味もなにも苦しくてしかたありませんでした。
でも、ある時思いました。
「褒められたら、必要とされたら満足して活動をやめるのか?」
ん?なんかそれは違うな。
これに気づくまですごく時間がかかりました。
たぶん本当に最近だと思います。
どうすれば「無条件に自分を肯定」できるようになるのか
じゃあ、どうすれば手放しで自分を認めてあげられるのか。
私が出した答えはこうです。
「自分で行動を選ぶこと」
「嫌われることを恐れないこと」
他人の「してほしい」を基準に動くんじゃなく
自分が「こうしたい」と思って動く。
他人の、多数の「好き」に合わせるのではなく、
自分の「好き」を表明する。
人の思い通りに私が動かなくても、
人と考えを合わせなくても
「大丈夫だ」って
確かめつづけたんです。
趣味のイラストは、はやってる絵柄に寄せない。
趣味の音楽は、はやってる音楽より自分が好きなものばかり聴く。
フォローフォロワーも興味がある人だけ。
そしたら、そんな自分勝手な私を「好き」と言ってくれる人が
いるということが少しずつ分かってきました。
フリーランスは次のステップ
そうやって少しずつ少しずつ欠如した自己肯定感を積み重ねてこれた結果、
自分のしたい生き方のために、
自分の意志で「フリーランスになる」という決断をすることが出来ました。
長い長い苦悩した時間を経て、めちゃくちゃ成長したと思います。
まだ、うまく自分で自分をほめてあげられないけど。
この決断が大きな自信になって、私が思う「カリスマ性」を。
自分の納得できる生き方に賛同してくれる人を
巻き込めるような人間になれるよう、
自分で歩いてみようと思います。
私が輝くのは、きっとこれからだ。
長々と書きましたが、思う「カリスマ性」は
「無条件に自分を肯定する力」
何かを成し遂げたり、人を惹きつける力はこれだと思ってます。
これが欠如したまま大人になった私ですが、
少しずつちゃんと自分を認めてあげられるようになってきました。
やっとこれから、何かを巻き起こすフェーズに
進んでいけそうな気がします。
ちょっと重い話もしちゃったしかなり長くなっちゃいましたが、
ここまで読んでくれてありがとうございます(*^^*)
それでは!!