【新古今集・26】染まらぬ葉
時雨の雨染めかねてけり山城の
常磐の杜の真木の下葉は
(新古今集・冬歌・577・能因法師)
さすがの時雨、その雨も
染めかねておるわ
山城の
常磐の名を背負う杜に育まれた
まことに素晴らしい木々の下葉は
詞書に「十月ばかり、常磐の杜を過ぐとて」とあります。どうやら体験を詠んだ歌のようです。
時雨は冬に木の葉を染める雨です。
時雨の雨間無くし降れば真木の葉も
争ひかねて色づきにけり
(新古今集・冬歌・582・柿本人麻呂/万葉集・1553・大伴稲公)
さすがの時雨、その雨は
間断なく降り続けるので
どんなに立派な木々の葉も
とうとう抗えずに
色づいてしまったことだ
※『万葉集』の方は三句以降が「三笠山木末あまねく色づきにけり」となっている。
しかしさすがの時雨もこの神域の森の木々は染められなかったようです。なぜでしょう?
その答えはこの地の名にあります。この地の名は常磐。永久不変を謳っているのです。
染まらぬ木々の葉を「下葉」と指定するのはなぜでしょう?
実は紅葉は「気がつかぬうちに下の方の葉から紅葉するとされていた」(片桐洋一『歌枕歌ことば辞典 増補版』1999 笠間書院)のです。だから
白露は上より置くをいかなれば
萩の下葉のまづもみづらむ
(拾遺集・雑下・513・藤原伊衡)
白く輝く美しい露は
草木の上から置いていくものなのに
どういうわけで
萩の下の葉が
先に紅葉していくのだろう
と詠んだりしました。だから下葉が染まらないということはそのまま全体が染まらないということでもあるのです。
偉容を誇る木々すら紅葉させる時雨。その時雨ですら染めかねる常磐の杜の木々の葉。
強さがインフレしていく格闘漫画みたいな流れですね。
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