3月1日 僕の後悔と寂蓮の雁
穏やかな一日でした。
昨日夜更かし気味に床についた長男は今朝、ずいぶん眠そうに起こされました。起こされた後もゆっくりとご飯を食べ、ゆっくりと歯磨きをしています。
いかんと分かってはいるのですが、怒ってしまいました。早くしなさい、と声を荒げてしまいました。
長男は恨めしそうに、僕を見ます。
そうして遅れ気味に家を出た長男は、その後一緒に歩く友達からも遅れがちになり、結局遅刻したそうです。
怒られて家を出たら、きっといじけてしまうんだよな。もう面倒くさくて、学校にも行きたくなくなっちゃうよな。
小学1年生にとってはただでさえ長い通学路。歩く理由もなくしたままトボトボと歩いていただろう長男の姿を想像すると、辛くなります。そうなるように僕が追いやってしまった。すまない。
帰ってから一緒にニンテンドースイッチで遊びました。
明日は、明日からは決して声を荒げません。怒る前に、6秒カウントして頭をなでよう。なでさせてくれるなら。
翼だけ爪だけ鷹を求めては鳶の頭の弱さを恨む
☆ ☆ ☆
和歌の世界で春の鳥というと、まず鶯です。鶯は、風に含まれた梅の香りに導かれ、山から人里へと下りてきます。
続いて登場するのは雁。秋に飛来する雁は春には北へ飛び立ちます。その飛び立つ雁を歌った歌に、こんなのがあります。
今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空
(寂蓮法師 『新古今和歌集』58)
春が来て、北へ帰るべき「今」を迎えた雁を歌います。それは別れを含んだ悲しい「今」です。
別れを迎えた雁として、寂蓮法師は特別な雁を用意します。「たのむの雁」です。それは絵面的には田の面にいる雁です。しかし同時に、『伊勢物語』で詠まれた、昔男に心を寄せる女の比喩でもあるのです。ですから寂蓮の雁も、恋心とまではいかずとも、今いるこの地に執着の心を抱いているようです。
そんな雁が、切なげに鳴いています。この切なさは、旅立たねばならぬことを受け入れた故の心情でしょう。
その雁の心に共鳴するかのように、月夜がおぼろに曇ります。
そして5句。「今」がいよいよ絞り込まれます。おぼろの月は曙の空に浮かんでいたのです。曙の頃は、仲睦まじい恋人同士でも別れを受け入れ、女の家から男が帰っていかなければならない時間です。
惹かれあう恋人たちが、心を残しながらも別れを迎えなければならない時。
雁が「うちわび」たのは、そういう「今」だったのでした。
今はもう、時が至ってしまったと言って
田の面の雁も
切なげに鳴いた
その涙で煙るような朧の月は
別れの時の到来を告げる、曙の空にかかっているよ
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