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【伊勢物語】123 深草野/藤原俊成の世界/女の身になってみよう
1,本文と現代語訳
昔、男ありけり。深草にすみける女をやうやうあきがたにや思ひけむ、かかる歌をよみけり。
年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ
女返し、
野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ
とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。
女に飽きた男を和歌でもう一度振り向かせる、という筋立ては二三段「筒井筒」と似ています。男の浮気を知りつつ夜道を心配する女と、別れをほのめかされても永遠に待つ覚悟を示す女。どちらがいじらしいでしょうか。
昔のこと。ある男がいた。深草の里に住んでいた女にだんだんうんざりしてきたのだろうか、このような歌を詠んだ。
何年も住み慣れたここを出て行けば
草ぼうぼうの野原になるかな
女が返しの歌を、
野になれば鶉となって鳴きましょう
貴方が狩りに来てくれるよう
と詠んだのに感動して、里を出て行こうと思う心が無くなってしまった。
2,コブンノセカイ ~伊勢物語と藤原俊成の世界~
この段の歌は『古今集』にもあります。ただ女の歌が少しだけ違います。
野とならば鶉となきて年は経む
かりにだにやは君は来ざらむ
二、三句が「鶉となりて鳴きをらむ」か「鶉となきて年は経む」かの違いです。二句の一字の違いが特に、情感を変えてくるようです。
鈴木日出男『評解』の解説を引きましょう。
独り身になった自分は鶉と同じように鳴いて、泣いて暮らすことになろう、というのである。また「年は経む」は贈歌の「年を経て」に照応して、これはこれで贈答歌としての息づかいになっている。他方、物語では「鶉となりて鳴きをらむ」。これは自分が鶉そのものに変身しようとする物言いで、これによって下の句の「かりにだに・・・・・・」を通して、自分は相手の鷹狩りの獲物になってもよい、という強い覚悟を言い表すことになる。男との過往の関係に殉じてもよいぐらいの、思い切った言い分である。
古今集と伊勢物語の今段はどちらが先にあったものかは分かりません。ただ鶉への変身を言う伊勢物語の「獲物になってもよい、という強い覚悟」にはより強い情念を感じます。
伊勢物語の女の歌は、藤原俊成が本歌取りしたことでさらに世界を広げていきます。
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
こちらは鶉に変身した女の鳴き声=泣き声が聞こえてくる深草の里の歌です。「話主は現実と物語世界を往反しつつそれを聞く」(新大系『千載和歌集』注)といった解釈がされています。
こちらの歌のポイントは女の化身である鶉が深草にいることでしょう。伊勢物語では男に捨てられても鶉に変身して待つと覚悟を決めた女。その女の歌に男は絆されたのですから、本当は女は鶉にはならずにすんだはずなのです。ですが俊成の歌では女が鶉になっている。つまりこれは男が女の歌に絆されず、そのまま女を捨ててしまったIF世界のお話なのです。
では鶉となった女の声を聞いているのは誰なのでしょうか?こちらについて、先日NHKのBSPで放映された「究極の短歌・俳句100選」で渡部泰明氏が切れ味良く解説していました。文字に起こしてみます。
俊成は意地が悪いのか何なのか、それを男がもう女を捨てて出て行ったという前提で詠んでいて、そして久しぶりにやってきたら、秋風の中鶉が鳴いているよ、ていうその、女の化身の鶉を匂わせている、ていう、絶妙な歌になっているというわけですね。
というわけで、伊勢物語の男がIF世界でもう一度深草の里を訪れたという読みを渡部氏はしているわけです。
分かりやすく味わい深い解釈だと思います。
めちゃくちゃ非道い話だけど。血も涙もないですね、この男。
3,登場人物になって詠んでみよう
俊成の、物語作品の登場人物の立場で歌を詠んでみる、というのはなかなか高度な本歌取りです。今回はこちらを試してみましょう。
お題は「今段の女が男に捨てられたIF世界で、鶉になって鳴いている/泣いている女の立場で和歌を詠む」です。自分で詠むのではなく、そういう歌として使えそうな歌を探してみるというのでも良いかも知れません。
今回は古今和歌六帖の「恋」の歌から失恋を感じさせる歌をいくつか参考に並べてみます。
かくのごと恋ひつつあらずは石木にもならましものをもの思はずして
わが命生けらん限り忘れめやいや日ごとには思ひますとも
百千鳥鳴く時あれど君をのみ恋ふる我が音はいつと分かれず
雨やまぬ山の雨雲立ちゐつつやすき空なく君をしぞ思ふ
世の中の憂きもつらきも悲しきも誰にいへとか人のつれなき
水の泡の消えでうき世と知りながら流れてもなほ頼まるるかな
これくらいにしておきましょう。これらの歌から発想と言葉を借りてつなぎ合わせれば、練習歌ができそうです。
【作例】
かくのごとつらき男と知らませばなく鶉とはならざらましを
我が命生けらん限り忘れめや鶉の我捨てたる人を
百千鳥鳴く時あれど君をのみ恨むる我が音いつと分かれず
雨やまぬ山の雨雲立ちゐつつ心変はれる君になかさる
世の中の憂きもつらきも悲しきもただひたすらに君に告げたし
水の泡の消えでうき世と知りながらわれから身をも落としつるかな
それぞれ上句をまるごと借りてみました。雰囲気出てないですか?
今回は以上です。お読み下さりありがとうございました。