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藤原良経が包み込むもの ー漁り火・蛍・伊勢物語ー

いさり火の昔の光ほの見えて蘆屋の里に飛ぶ蛍かな
      (『新古今集』二五五 摂政太政大臣)

 『新古今和歌集』に記載された歌人名は摂政太政大臣。こちらは藤原良経を指しています。良経は俊成や定家のパトロンと言って良いでしょう。自身も時代を代表する優れた歌人です。『六百番歌合』を主催し『新古今和歌集』の仮名序を書きました。

 その良経の歌です。新古今時代らしい歌だと思います。僕たち読者にとっては一読してもなんだか訳が分からない。雰囲気はあると思いつつも意味の共有にたどり着かない。
 『新古今和歌集』の歌たちにはどこかそういう「一段高い」雰囲気があります。奥深い魅力を放ちながら安易な気持ちの読者を煙に巻くような。

 それでも定家ほどではありません。
 定家の歌は見事・秀逸と言える表現の工夫が一首に2つ以上盛り込まれていることが多いのです。30分のテレビ番組にクライマックスが2つか3つあるようなものです。解説を試みようとしても「まだ何かありそうな」気配を感じて慄いてしまいます。

 定家に比べれば良経の歌は穏やかです。確かに屹立しているもののその頂きにたどり着く道筋は見つけやすい。そして登り始めてみると案外道が登りやすいんです。

 今回の登頂ルートは「いさり火」が「昔」を呼び起こして「蘆屋の里に飛ぶ蛍」に至るもの。
 きっとあの時代の教養人たちなら共有していたはずの話。
 それは『伊勢物語』の第八七段です。

 (前略)帰りくる道遠くて、うせにし宮内卿もちよしが家の前来るに日暮れぬ。やどりの方を見やれば海人の漁火多く見ゆるに、かのあるじの男よむ。
   晴るる夜の星か河辺の蛍かもわが住むかたの海人のたく火
とよみて、家にかへりきぬ。(後略)

 この話は「業平と思しき『男』と、彼をめぐる人々との心の交流が、土地柄の風情に即した詠歌を通して語られている」(鈴木日出男『伊勢物語評解』筑摩書房)と読まれています。
 良経が歌を詠んだのは正治二年。政治家として出世しながらその頂点が見えつつある時期です。左大臣でした。そんな勢い盛んな良経が人の心の交流を描く話を愛好していたと思うと僕の心も緩んでしまいます。成功しながらも周囲への感謝を忘れていないように思えて。

 さて 『伊勢物語』では「星→蛍→海人のたく火(漁火)」と展開したのに対し良経は「漁火→蛍」と逆向きになっていますね。逆にすることで過去に立ち返る気分ももたらそうとしていたのかもしれません。そうであるなら「いさり火」を蛍の光に喩えた業平の逆で「蛍の光」をいさり火に喩えた歌だという読みを支持したくなります。

(再掲)いさり火の昔の光ほの見えて蘆屋の里に飛ぶ蛍かな

《現代語訳》
海人の焚く漁り火のような
あの業平の光を思い出させる光が
ちらりと見えて
ああ、あれは漁り火ではなかった、蘆屋の里に
業平が幻視した蛍の光であったのだ



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