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「問い」をめぐる読書④土屋陽介『僕らの世界を作りかえる 哲学の授業』青春新書 2019年/⑤梶谷真司『考えるとはどういうことか:0歳から100歳までの哲学入門』幻冬舎 2018

 「問い」を探求する本の4冊目は、学校で哲学対話の授業を展開されている土屋陽介氏のものを選びました。『問いのデザイン』で触れられていた哲学的問いの方法、そもそもを問う方法を深めてみたかったし、哲学対話というもの自体にも興味を持っていたからです。

 土屋氏は哲学対話で身につけてもらいたいことは

 小手先では太刀打ちできない大きな問題の前で立ち尽くし、ひたすらに考え、ゆっくり時間をかけて問題を「問い直す」姿勢である

と規定します。このあたりの平易な言葉遣いなどには、土屋氏の対話の技術も感じます。

 またそもそも「哲学」とは何か、ということについて、

 私たちの日々の生活に潜んでいる、身近で素朴な「問い」について、真剣かつ丁寧に考え抜く

ということだと定義しています。このあたりで「問い」の対象化が始まっていきました。

 しかし考え抜くということは物理現象として計測可能な活動ではありません。それではどうなったときに「考え抜く」ことをしたと言えるのでしょうか。
 土屋氏はその「考え抜く」ということの結果、「思考が哲学的に深まったと言えそうな場面の一つ」として

それまで漠然と不明確に捉えられていた思考が対話を通して明確になり、そこで検討された(多くの場合、日常的な)概念が洗練されたときです。

と言います。この「概念が洗練されたとき」という表現は気に入りました。知の意義を説明する言葉に「世界の解像度を上げる」というものがありますが、それに通じる言い方だと思います。

 ではいかにして問えば「概念が洗練」されていくのでしょうか。土屋氏はその方法を簡単に提示しつつ、

 上手に問いを立てるための具体的な方法は、東京大学大学院教授で哲学者の梶谷真司が著書『考えるとはどういうことか』第3章でかなり詳しく説明しているので、ぜひそちらも参考にしてください。

と、他書の紹介をしています。
 梶谷氏の方法は、土屋氏のものと重なりつつ、より詳しい方法という理解をしましたので、問いの方法については梶谷氏の言葉を追うことにします。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 梶谷氏は「問い」について、フレームワーク的に整理をしています。そのフレームには、大きく①「基本的な問い方」②「時間と空間を移動する」③「小さな問いから大きな問いへ」④「大きな問いを小さくする」の四つが用意されています。
 中身を見てみましょう。

①「基本的な問い方」

 「基本的な問い方」とは

・言葉の意味を明確にする
・理由や根拠や目的を考える
・具体的に考える
・反対の事例を考える
・関係を問う
・違いを問う
・要約する
・懐疑
・5W1H

という9つの方法をさします。まるで学校の、国語の授業やテストで出される問題のようですね。少し加工すれば、国語の参考書にもなりそうです。

②「時間と空間を移動する」

時間と空間を移動する」というのは、なかなか脳を刺激してくれそうです。
 「時間軸で問う」とは

昔(100年前、戦前、お母さんが子どもだったころ、学生時代、等々)はどうだったのだろう?

など、今と比べた過去や未来、または過去と比べた今を問う方法です。
 「空間軸で問う」とは

 「この仕事、大事なのは分かるけど、自分にとってはどうなんだろう?」

など、みんなと自分を対比したり、自分の場と他の場を対比したりする方法です。そういう想像に基づく言語化が好きな生徒って、各クラスに数名以上はいそうな気がします。

③「小さな問いから大きな問いへ」

 小さな問い、というのは日常的な問いです。例えば乳飲み子を抱えた親が抱く

 何でこの子は泣いてばかりいるのか?

と言った問いです。梶谷氏はこうした問いについて、「自分にとっての問いの意味を問う」ことで「少し違う次元が開ける」と言います。
 どういうことでしょうか。それはメタ自我を形成するための問いとも言えそうです。例えば先の問いに関して、

 なぜ私は子どもが泣くのを気にしているのか?

と問うてみることだと、梶谷氏は言います。こうした問いを重ねていくことで、

 目の前の問題から、次第に距離を取り、より広い、より大きい問いへ移っていくことができる。そこに哲学的な次元が開けてくる。

のだと。
 現在子育て中の身からすると、泣きわめく我が子を前に「自分にとっての問いの意味を問う」のは夫婦関係にひびをいれそうな恐怖も感じるのですが、おっしゃる意味は分かります。自分を俯瞰的に眺めるきっかけになるということで、「大きな問いへ」なのですね。

④「大きな問いを小さくする」

 最後は③と逆の方法です。例えば

 「生きる意味は何か」と問うのではなく、「なぜ私は生きる意味を問うのか?」と問うのである。

という方法です。
 この方法により、哲学的気分に浸らせるだけだった問いが、「自分にとって身近で具体的な文脈に置かれる」ことになります。ここでもやはり、メタ自我が関係しているようです。ただし③とは違ってメタ自我を現実世界の自我のすぐそばに置き、間近で検証する方法、と言えそうです。


 以上、二冊の本をつないで読み、「哲学対話」の世界の問いを学んでみました。基本の問いを時間や空間、あるいはメタ自我からの問いによって深め、次第に概念を洗練させていく。生徒の脳が開かれていきそうな可能性を感じます。
 意外にも「国語の授業」と直接つながる手応えを得られたのは特に収穫でした。明日の授業からでも使えそうな、梶谷氏の四つの方法に習熟してみようと思います。

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