【新古今集・冬歌1】冬の始まり
おきあかす秋の別れの袖の露
霜こそ結べ冬や来ぬらむ
(新古今集・冬・551・皇太后宮大夫俊成)
(訳)
夜を明かした
去って行く秋に別れを告げながら
袖に置いたは涙の露だ
おや気がつけば霜の姿に固まっていく
どうやら冬が来たらしい
一昨日は暑くて着ていられなかった上着が昨日は丁度良く感じました。そして今日の寒さはその上着だけでは足りないほどです。あっという間に冬が来ました。エアコン・床暖房・蓄熱暖房等々で電気代が跳ね上がる日々の到来です。
新古今集も冬歌に移行します。その巻頭歌は藤原俊成の一首でした。その歌の世界ではやたらと具体的に秋が去り冬がやってきます。昨晩袖に置いた露(=別れの涙)がピシピシと凍り付いて冬の到来を告げるのです。
秋と冬の間に引かれた線のような一瞬を見出した歌です。秋が冬になる瞬間に露が凍り付いて霜になる。現代の僕からすると面白い発想だと感じます。しかしこの歌の発想は王朝和歌の世界ではどう受け取られるのでしょうか。
古今集以後の勅撰集から冬歌の巻頭歌を並べて比べてみましょう。
竜田川錦をりかく神無月
しぐれの雨をたてぬきにして
(古今集・314・よみ人しらず)
初しぐれふれば山辺ぞ思ほゆる
いづれの方かまづもみづらん
(後撰集・443・よみ人しらず)
足引きの山かきくもりしぐるれど
紅葉はいとど照りまさりけり
(拾遺集・215・紀貫之)
落ち積もる紅葉を見れば大井川
井堰に秋もとまるなりけり
(後拾遺集・377・藤原公任)
神無月しぐるるままに鞍馬山
下照るばかり紅葉しにけり
(金葉集・257・源師賢)
何事も行きて祈らんと思ひしに
神無月にもなりにけるかな
(詞花集・140・曾禰好忠)
昨日こそ秋は暮れしかいつのまに
岩間の水のうすごほるらむ
(千載集・387・藤原公実)
ずらっと並べてみました。すると古今集から金葉集までは時雨と紅葉から冬が始まっていたことが分かります。それが詞花集では神無月の到来に重点が置かれました。そして千載集では秋の水が冬の始まりの日には凍り付いていた様子が詠まれます。
秋から冬に切り替わることに注目が集まっています。そして秋と冬のものが同時に詠まれるようになっています。新古今集の俊成歌に近いと言えそうです。どうやら俊成歌はそれほどオリジナリティを追求した歌ではなさそうです。
また公実歌のように季節が変わる一日に2つの季節が行き交う様を歌う方法そのものは特に新しい物ではありません。例えば6月30日に詠まれた
夏と秋とゆきかふ空の通ひ路は
かたへ涼しき風や吹くらん
(古今集・168・凡河内躬恒)
は季節が切り替わる一日を詠んでいます。2つの季節を同時に詠んでいる点で俊成歌や公実歌と似ているように思います。
俊成歌は新奇な発想をものにした歌というわけではなかったのでしょう。むしろ冬の一日目に秋と冬の境界を見出した点では伝統に則していて共感を得やすいものだったと言うべきだと思います。
俊成の歌は元は『千五百番歌合』に出詠された歌でした。そこでは「右歌、させるめづらしき心には侍らねども優にはきこえ侍るにや」という判を下されています。あんまり褒めているような気がしません。ただ判じたのは息子の定家です。その定家が編集に関わった新古今集で冬歌の巻頭歌に選ばれたのです。「優に」の部分には字面以上に熱意がこもっていたのかもしれません。
朝ランに向かう体を引きとどむ
布団温とし冬や来ぬらむ