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博報堂を辞めて、5年。

新年度。音楽家人生、6年目のスタート。(退職日付は有休消化の都合で4月末ですが、キリがいいので今日書きます。)

思えばよくぞ、ここまで生き延びてこられたものです。振り返ってみても、年々チャレンジするハードルは、右肩上がりどころか二次関数級。退こうが進もうが、待つのは高いリスクしかない。

それでも会社員を辞めたことは、僕にとって100%正解でした。


「博報堂を退職して、ミュージシャンになる。」

話を聞いたほとんどの人が止めてくれました。

「頑張れ」って言ってくれた人の多くもきっと、心配してくださりました。その中で、ごく一部の本当に僕のことを理解してくださっていた方、仲間たちは「大丈夫。信じて進めばいい。」と言ってくれました。


辞めたことを後悔した日は、一日たりともない。

経済的な安定より、やりたいことへの欲が過度。そうは言いつつ、やりたいことに出費はつきもの、そんな5年間。我ながら、本当に危ない橋ばかりを選んで渡ってきているし、きっと今後もそう。感情面のアップダウンの波は、年を追うごとに高低差を増すばかり。

けれど今のところ、いつ振り返っても、生きているその瞬間が一番楽しい。

上:会社を辞めた2013〜2014年頃のワンルームマンションでの作曲風景
中:2016年末に現環境に引っ越したばかりの機材がほとんどない風景
下:2018年6月の「BRAINSTORM」マスタリング当日の朝(ほぼ現状)

こうして見ると、自身のスキルと設備投資の変遷が完全に一致しているように感じます。いくら遣ったのかを思い出すのも恐怖。それくらい、急激に音楽制作スキルを磨き上げ、今の状態になったように思えます。

お金が入ったら、すぐに次の作品を作り出してしまう。(なくてもやるけど)それでもお金が余ったら数十〜、場合によってはツマミだらけで百万単位の機材を買ってしまう。音楽家あるあるです。呆れるほど自転車操業をしていて、人生の決断を日課にした5年間は濃厚。特に全ての決断を自分で行う自身名義での勝負の快感を知ると、後戻りはできなくなりました。

いわゆる大手を辞めることに、確かに覚悟は必要でした。でも実はさほど大袈裟なことでもなく、周りに助けてくださる方がいて、スムーズに辞めさせていただくことができた。そこからの数年でも色々なことがありましたが、今思えば、今の姿になるために、この数年を経たのかなと思えます。


誰かの代弁だけじゃ、満足しない人生と気づく。

「あくまでこれは個人的な意見ですが」と、僕も含めオトナになると本音と建前を使い分けなければいけない場はどうしてもあると思います。

生きれば生きるほど、自身の立場で世の中にアイデアを発信したくなった。

誤解を招きそうですが、だからと言ってクライアントである企業やアーティストを無視した音楽づくりをしたいわけでは勿論ありません。「アーティストKotaro Saito参加作品であることが、作品クオリティ的にも情報価値的にも力を宿せる人間になりたい」と強く感じます。

誰かのフィルターを通すことや代弁することも、実は僕の中ではすごく楽しく尊いものです。こちらをご覧ください。

お気に入りのクライアントワーク「霧島酒造100周年ブランドムービー」

自分ではない何かになれることは、僕に非日常を体験させてくれます。たとえ代弁する対象が企業でも同じ。別の視点は、いわばファンタジーのようなものです。誰かの声になれることが、僕にとって最大の「趣味でありエンタテインメント」でもあります。

「自分の感情」を音楽に強く意識して込め始めてから、実はクライアントワークでの表現においても関係者に評価いただく場が増えました。

戦略戦術で正しい音楽を作ることを長いこと意識してきましたが、そこに「Kotaro Saitoの感情解釈」が加わることで、映像に、音楽に触れる方とのグリップ感・ドライブ感が増したと業界関係者の方に最近よく言われます。「僕はこう思う。」を大切にする姿勢を、関係者・作品に触れる方々みんなにとってのプラスにできる人間でありたいなといつも思います。


「いける」という絶対的根拠は、身近な仲間がくれる。

裏方ベースの、しかも「クレジットが出にくいCM音楽出身である個人の作曲家」が、自身の名義で、「世界に行く」と真顔で公言している。

僕は本気です。僕が旗を振って送り出している「僕ら」の音楽は、日本国内に留めておくべき音楽ではない、と心底信じています。

今、Spotifyで僕の音楽を聴いていただいている状況が、バイラルチャートで1位になった頃より勢いがあります。1ヶ月に1曲、それも、なんとなく出すのではなく、本気で投資し、本気で作るのは、言葉で説明する以上に大変。日々のクライアントワークもやっているから、尚更です。

でも、ずっと僕は一人じゃない。

アルバムをリリースする前から僕の思想や音楽に対する向き合いをずっと見ていてくれた、大先輩から希望に満ちた新人の後輩まで。こんな人たちが、この成功体験前から「一緒にやりたい」と曲を聴いて思ってくれている。これこそが、僕の一番の自信です。

生まれてこのかた、人の縁だけは強烈に恵まれている。

それは、僕が自負できる唯一の才能。偏屈だし気難しいのも認めます。世の中のかなりのことを斜めに観ています。きっと敵もつくりやすいでしょう。

でも不思議なほどに、僕が好きだなって思える人には、限りなくいつも好いてもらえている気がしています。年を重ねるごとに、尚更です。

そんな僕の音楽仲間の皆は、世代もキャリアも超えて、みんなフラットに音楽を語らえる。作曲家に言いにくい演奏者ならではの意見もグサグサ言われるし、先輩と共作しても嫌なものは嫌と言える。(あんまりないけど)

僕が「やりたい!」と言って、二つ返事で面白がってくれる、多種多様な音楽仲間たちの技術とセンス。これこそが自慢だし、それを常に信じているが故に、数的結果はついてきている。

仲間を増やしたいから、僕はこうして思っていることを完全に本音で、noteに書き続けようと思います。まず大前提として曲そのものに、そしてそんな音楽を作った僕の思想そのものに共感してくださる方とご一緒すれば、きっと今より良いものが、更にたくさん出来上がる。この景色の向こう側に、もうすぐ世界は見えてくるのでしょう。


「業者感覚」は、捨てた。

コストで他者・他社と戦ったり、営業力で仕事を作っていく感覚も、もともと音楽家にしては稀有な営業で鍛えた感覚ではあります。でも、もはや僕の強みではない。その音楽を僕が作りたいか否かでしか、仕事は選びません。

自分自身の音楽に向き合う時間をあえて増やし、関係各所への営業的なご挨拶も、ごく一部の「本当に会いたい人に会いに行きたい」感覚の方への訪問以外はやめました。音楽力、そして言葉、文字の力をもっと信じることにしました。僕の音楽を本当に知っていただきたい方は、顔も見たことのない世界中の皆さんだからです。


音楽のプロとして、6年目を踏み出します。

僕自身が、まだ誰も見たことのない景色を自ら切りひらき、なりたい自分になることで。僕と音楽の趣味を同じくするような沢山の「リスナー仲間」である皆さんに作品を届けてみたい。

そして、僕の音楽をどこかの記事か何かで「改めて知ってくださった」業界関係者の皆様から、コラボレーションのご相談をいただけるよう、ただただ全力で最高だと思える音楽作品を生み出します。

次の新曲は、4月11日。僕にとっての目標であり、尊敬する先輩であり、大事な音楽仲間のお2人と連名で、これまでの音楽活動の集大成を形にしました。曲調にびっくりするかもしれませんが、楽しみにしていてください。


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