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「納得いかない」という主張

 「納得がいかない」「納得いきません」というフレーズを、僕は口にしたことがない。ニュースの記事をみたり、説明を受けたりして「わからない」「理解が追いつかない」という言葉を使うことはあるが、自分が納得しているかどうかを相手に伝えたことはない。もしかしたら、「ご納得いただけましたか」と問われて「はい」と答えたことはあるかもしれない。
 そもそも、納得するかどうかというのは、感情や欲求に近いものだ。説明を受けて、その説明が自分が想定していたものと一致したり、その説明が理解できて「その通り」と思ったときに人は満足する。この満足感が納得につながるので、納得は感覚や感情に近いものだ。

 ニュースで、裁判結果に不満をもつ人が「この判決には納得がいきません」と言うシーンをよくみる。たいていは敗訴した側が「納得いかない」という主旨の言い訳をする。しかし、僕はこの言葉を聞くたびに、違和感を抱く。裁判は納得するためにあるのかと。
 納得というのは、人によってまちまちな主観的な言葉であることを思い出してほしい。裁判所は、あらかじめ決められた法律に従って、原告や被告の言い分や証拠をもとに判決を下す機関だ。被害者への心情を汲む場面や犯罪に対する国民の意識などを参考にすることはあるかもしれないが、基本的には人を納得させたり、満足させたりするために存在しているわけではない。争いごとを調停するのが目的であって、判事は納得してもらうために判決を下しているのではない。納得してもらいたいという願望は、公平中立な判断に悪影響を与える危険すらある。

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当たり前だと思っていたことを疑うと、新しい発見があるかもしれない。繰り返しの毎日にスパイスを与えるエッセイ集

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