大人になることは、自由になることだ
「大人になることってどういうことなんだろう」
ふと頭の中に疑問が浮かんだ。
私は、大人になることは自由になることだと思う。
人々は、大人という言葉を抑制に使うことが多い。
「もう大人なんだから、しっかりしなさい。」
「いつまで子供みたいなことしてるんだ。大人になりなさい。」
私はもっと『大人』という言葉を前向きに捉えたい。
けして行動の足かせとして使うのではなく、自分/他者の背中に翼を付ける/てあげる言葉として。
20歳を超えたあなたは大人になれている?
一口に大人といっても、類似的に使われる言葉はたくさんある。
関連単語を抜粋し、どう定義されているのか見ていこう。
大雑把に分類すると、
大人:抽象的な分類にある単語
成人:具体的な数値を基準に定義される単語
adult:上記2つの意味が混在している単語
対義語である「子供」に関連する単語も一通り調べたが、逆説的な意味で定義されていたため、今回はカットする。
類似単語の定義を見ていると、
言葉の使い分けができていないことが、大人という言葉が制約として使用される原因の一つだと感じた。
例えば、20歳(はたち)の誕生日を迎えた時、「明日から立派な大人だね」と言う人がいる。
上記の場面を、言葉の定義に合わせて表すと、
現代日本でいう民法上の成年になったね(20歳になったね)という事実を示している。
よって場面上、「大人」という言葉を使用するのは最適解ではない。
法律的な考えは、本来『成人』という言葉に紐付いているのみで、
『大人』という言葉には紐付いていない。
ただいつしか、大人・成人という定義が混在し、「大人」にも法律的=抑制的な考えが混じってしまったのだと思う。
成人を迎えたとしても、
大人じゃない人はいるし、大人になりたくない人もいるし、もっと前から大人になっている人もいる。
ということは、明日からすぐ大人になることもできる。
上述した考えを踏まえて、
今回、大人になることが何か?を考えた際に、私としての最適な表現は、
である。
自分の行動は自分でけじめを付けろ
いつでも大人になれるとは言ったものの、どうしたら大人になったと言えるのだろう。
私は、大人になることは、
「自らの行動に対して、自らで責任を負えるようになること」
だと思う。
責任というと、ネガティブなイメージがあると思うが、けしてそうではない。
大学を辞める。アーティストを目指す。お酒を飲む。ギャンブルをする。
何をするにしても、自分で行動したことによる影響を自分で回収できれば良い。
そして、自らの行動を自らで決断していく。
大人という言葉は、もっと前向きに捉えるべきものだ。
大人は自由だ
そう、だからある意味、
大人になることは、自由を手に入れることに繋がっているんだ。
自分で責任が取れる限りは、何をしてもいい。
だから、自由なんだ。
自分の好きなこと・やりたいことをしながら、
自らの行動に「自覚」と「責任」を持って生きていくこと。
大人になるって素敵なことじゃない?
ただ、一つだけ気を付けるべきことは、
自分で起こした行動により、他人に迷惑がかかってしまうケース。
何でもかんでも、好きなことをやればいいと言っているわけではない。
結果として、他者に迷惑をかけて、自分で責任を負い切れていない行動は、子供じみた行動として認識でき、全くもって大人とはいえない。
自分で責任が取れる範囲がどこまでなのか、を考えることが、
「大人」になるための大きな大きな一歩になるのではないだろうか。
すでに成人の皆様、新成人の皆様、早く大人になりたいと願う皆様
全力で今を楽しんで、自らの行動に責任を負いながら、やりたいことをどんどんやっていこうじゃないか。
やりたいことなんて些細なことでいい。楽しいと思うこと・今しかできないことを、全力で楽しもう。
大人の世界へ飛び込む第一歩は、あなた自身でしか踏み出せない。
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