公明党&創価学会の政教分離は言い訳では!?その理由や他の宗教・思想との比較
旧統一教会や公明党・創価学会の政治癒着の問題が気になって仕方ない。
公明党周辺の政教分離についての弁明に「ちょっと違うだろ…」と思うところがあったので反論・政教分離に抵触しそうな理由を書いてみた。
まず、公明党側のホームページやSNS上での「政教分離に違反していない」理由として語られる主なものについて要約すると↓↓
信教の自由があるから、議員個人がどの宗教を信仰しようと自由
政教分離の“政”は政党でなく国家、特定の宗教母体を持つ政党も問題ない
創価学会は支持団体、公明党は支持されている党なので問題ない
などの文言が書いてあるが、明らかに理屈がおかしい部分があるので1つずつ解説していく。
あとは共産党、キリスト教が大多数のアメリカの例やイスラム国家との比較についても考察。
(間違いや反論、疑問、変なところがあったらぜひ気軽にコメントください。)
議員個人がどの宗教を信仰してもOK?
1.の「信教の自由があるから、議員個人がどの宗教を信仰しようと自由」についてだが、公明党内に創価学会との繋がりが強い人物が多いなら、個人の信仰の自由の問題とは全く別問題として考えるべきだ。
これはキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などさまざまな議員がいるのであれば通じる理屈だ。
しかし公明党の議員の多くが創価学会の関係者であれば、創価学会の理念が政治に働きかけるのは避けられないだろう。
つまり個人でなく団体が政党に影響を及ぼしているということだ。
実際は団体として影響を及ぼしている問題が、個人の問題に論点すり替えされている。
よって政教分離について書かれた憲法の下記内容に違反する可能性が出てくる。
公明党員のほとんどが創価学会員だった場合、国の機関が宗教的活動をしているとも取れる。
直接的でなくとも団体に少しでも有利な取り決めをした場合、国の金が団体の維持に寄与していると考えられる。
この辺は程度の問題でもあり線引きが難しいのは事実だし、憲法の解釈は私が決められる範囲ではない。
ただ、特定の思想を持った宗教団体が政治に大きな影響力を持つべきではないというのは一般論としていえるだろう。
政教分離の“政”は政党でなく国家?
2.の「政教分離の“政”は、国教を定めるべきでなく、国家が宗教に関与すべきではないという意味で、政党を指しているわけではない」という主張もある。
これは国家という漠然とした言葉で濁されているだけな気がする。
まず国家とは何を指すのかが曖昧だし、政権与党と国家に重なる部分が全くないかのようなおかしな主張だと思う。
与党は国家権力である行政権を持っている。
公明党からも3議員が岸田内閣の副大臣に任命されている。
国家と政党が不可分であり矛盾が生じている。
また、「政教分離は国が特定の宗教団体を支援してはいけないという意味で、特定の政党が宗教の教義に基づいて政治活動してはいけないという意味ではない」という主張もある。
しかしこれも、国家と政党を完全に別モノとして惑わせるような論法だ。
まあ超少数の野党ならこの理屈で通るかもしれないが、公明党は与党だ。
「特定の宗教団体が政党を作ってもOK」の主張がどんな場合でも正しいのであれば、仮に創価学会を母体とする公明党が第一党になり国家権力を持つのも問題ないことになる。
日本人にはキリスト教徒の割合が少ないのにカトリック政治団体が政権をとるようなものでは?
創価学会を母体とする公明党が政権を取って国家権力・行政権を行使してもまったく問題ない(政教分離ではない)と考える国民は少ないと思うが…。
創価学会は支持団体、公明党は支持されている党
3.の「創価学会は支持団体、公明党は支持されている党」という理屈はもっとおかしい。
(↓下記サイトに「創価学会は支持団体、公明党は支持されている党」の文言あり)
支持団体と支持されている政党と言われても、創価学会の理念が公明党議員の思想に反映されないこと、分離していることの証明には全くならない。
明らかに説明として足りないと思う。
共産党など思想団体と宗教をどう区別すべきか?
宗教団体が政治に大きな影響力を持つべきではないということに賛同できる人は多いかもしれない。
ただ実際に何か社会を変化させる段階では、どう区別するかの線引きが非常に難しい。
例えば共産党など、昔は共産主義革命というやや過激な思想を持っていた人々で構成された団体も、公明党と同じく特定の思想で政治に影響を与えていることになる。
どこでラインを引くかは難しいが、両者は「教義がファンタジーかそうでないか」で一応分けられる。
(ファンタジーという言い方が正しいかはわからないが)
共産主義の教義の基礎はカール・マルクスの資本論などだろう。現在ではちょっと変だなと思われる部分もありつつ一応理論的な解説書だ。
一方、創価学会のほうは宗教なので、共産党と比較すると当然ファンタジー性が強い。
この分け方が完全に正しいとはいえないが、母体の教義のファンタジー性が強いかどうかが、政治参入の可否をわける目安になるかもしれない。
キリスト教国家・イスラム国家との比較
国民の80%ほどがプロテスタントかカトリック系のアメリカの政党が、キリスト教に影響を受けてないとは言い難い。ならば公明党の政治参加もOKでは?という理屈が成り立ちそうだ。
ただキリスト教の例があるから日本の宗教団体が政治に大きく介入しても大丈夫とはならないだろう。
国民のほとんどが信者であるケースとそうでないケースで、国民に与える影響がまったく違うからだ。
例えばのはなし、同じキリスト教系でもアーミッシュ政党が政治において大きな力を持った場合は、良いか悪いかは一旦別にしてもカトリックの政党が同じ力を持った場合よりも、国民生活に与える影響は大きいだろう。
またそもそもアメリカなどは、歴史的に政教分離云々の前に国民の大多数がすでに信者で、政教分離は無理だった状況であっただろう。
だとすれば、「特定宗教はダメでキリスト教はOK」という問題ではなく、単に完全な政教分離が歴史的に無理だっただけの国といえなくもない。
仮にキリスト教が2000年前でなく50年前に登場したものだったら、政治参加や政治的影響力への監視はまったく違ったはずである。
イスラム国家については、イスラム教については創始者・ムハンマドは宗教だけでなく政治においても指導者であり、イスラム教義に統治するための法までまとめられている。よって政教分離はあり得ない。
イスラム国家であるアフガニスタンではアメリカ軍が退去してタリバン政権となり、女子が学校に通えないという、グローバルな価値観で見るとあり得ない問題も発生している。
イスラム国家すべてが前時代的というわけではない。男女平等がそうでないイスラム教より優れているかどうかという根本的な議論もある。さらに原理主義かそうでないかの違いもあるが、アフガニスタンは宗教が政権を取ると危険な例だということもできるだろう。
イスラム教と創価学会が似ているというわけではなく、あくまでメタ考察だが、政教分離ができないとどうなるかの極論として書いてみた。
公明党が政治参加してOKなパターンは?
仮に創価学会を母体とする公明党の政治参加・国家権力を握っても問題ないといえる状況があるとすれば、国民の大多数が創価学会員で、教義が聖書のように広まっていることが条件として必要だと思う。
ただ政教分離の観点からすると十分ではなく、議論の余地はあるだろう。
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