批判的なコメントの簡単な対処方法!
映画やドラマの感想をブログやYoutubeで完全に忖度なしで語っていると、その作品を好きな人から批判的なコメントを書かれることも多い(noteでいろんな意見を表明している皆さんなら経験があることだろう)。
別に私の意見に対しての批判的なコメントは自由なので「どうぞどうぞ」という感じなのだが、何を議論しているのか境界線をはっきり分けたほうがみんなにとって有益だと思う。
そこでアンチコメントに返信しまくりの私が、批判コメントのタイプ分けと、有益な議論になるものとならないものの区別を記してみた!
実社会での応用も聞くと思うので、不毛なコメントのやり取りや、「自分が表明した意見が間違っているかも」という不安がストレスになる人は、一度目を通してみてほしい。
①悪口と意見の線引き
ネガティブなコメントは、まず初めに意見が含まれているか、単なる悪口かをしっかり線引きしよう!
批判コメントは基本的に私の記事や動画にネガティブな感情を持っている。
その中でネガティブな面も含みながらも、「このように表現するべきでは?」など具体的な意見・改善方法も言ってくれている場合は、こちらも肯定的に受け取るべきだろう。
具体的であればあるほど合意に至る可能性もあるし、こちらが気づいていない点を提示してくれる場合もある。
ただ、「こんな記事の必要性自体がない」「すべてがダメ」など抽象的なダメ出しをしてくるコメントは無視していいと思う。
抽象的なダメ出しはどんなものに対しても可能であり、議論しても方向性すら定まらず解決する見込みはほぼゼロだからだ。
②客観性を装うコメント
批判的なコメントをくれる人は、自分の意見をキッパリ言わず、客観性を装うことも多い。
データなどの本来の意味での客観性があるわけではなく、「このブログの著者には〇〇な傾向がある」など“客観的っぽい”書き方がされているもののことだ。
「傾向」などの固いワード、受身系の表現を使うと文章を“客観的っぽく”説得力のあるかのように見せられる。それを利用して客観的な正しさを装っているわけだ。
本来ほとんどの意見はコメントする側の主観なので、「俺はこう思った!」とスッパリ書いてくれた方がよほど有益だし気持ちがいい。
面倒なコメントがある場合は、少しは客観性を含んだものか、主観的な意見を客観的に言い換えただけかしっかり見極めよう。
あとは、そもそも映画などのコンテンツのレビューは厳密にいえば多くが「主観的な部分にあたり」、客観的に言える意見は非常に少ない。
それを理解せず、まるで主観で何かを言うことがダメかのように「お前のコメントは主観でしかない」と意味不明なことを言ってくる人も多い。
これらのコメントに対しては、「あなたの意見も十分主観的ですよ」と返してあげよう。
③感性の問題
映画で言えば同じシーンであっても「楽しめた」「楽しめなかった」の感性で分かれてしまう部分がある。
そんな感情論・感覚が根幹にあるコメントの場合、意見交換をしても双方の主張が検証不可能なので、早々に切り上げるか最初から問題にしない方が良い。
あとは「この作品を楽しめなかったお前の人間性が貧弱だ」など、感性を直接否定してくるコメントも結構ある。
絵でも小説でも映画でもドラマでも、作品に多様な解釈がある・あっていいことを知らないのかもしれない。
これに対しては、「感性の多様性を否定するんですか?」と返してあげよう。
高校生ならともかく、大人なら自分が好きな作品を嫌いな人がいても、「意見の相違」だと許容できた方が自分自身にとっても社会にとっても絶対にいい。
感性の違いの問題だと認識して許容できないのは結構根深い問題だ(日本は同一民族だから特にかも)。
双方がそれを認識していないと、宗教・政治・思想の話し合いでまったく噛み合わないという無益な事態がたくさん起こる。
世の中には正しい・正しくないを検証できない問題も多いのだ。
まとめ
具体的な意見があるかで単なる悪口かそうでないかを分ける
客観性を装ったコメントをしっかり見抜く
感性など定性的で議論ができない問題を把握して不毛なやりとりを避ける
批判コメントへの対応の簡単なパターンを書いたが、ブログやYoutubeだけでなく、会社や友人関係など実社会での話し合いでも十分通じる内容だと思う。
議論は大切だが、お互い目指す方向性が一致していなければ意味ないし、問題認識の前提がバラバラだと噛み合わない。
ひとつひとつ解きほぐして悪口の言い合いではない有益な議論にするか、相手にしないかどちらかにしたほうが時間を節約できるだろう。