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また会えるまでの日々を。

じゃあね。

と手を振ってさよならする。
人と人が出会えば必ず行うこと。

またね。

と心で唱えながら。


人が生きる時間には限りがある。それを僕らは当たり前のように感じてはいるものの身近には感じていない節がある。たまにくる、唐突な別れと少し前から感じていた「ああこの人とは当分会うことがないのだろうな」という時に感じる感覚。有限とは誰もが持っている、そして出会う事象。

日々を過ごす中で、「一体何年先に来るのかわからない有限」もあれば、「期限を最初から提示されている有限」もある。人それぞれにその「有限」を満喫しているように感じるこの世界は、少しだけ脆い。美しくなっていく世界観を感じたと思うと、ちょっとしたことがきっかけで、その世界が霞んだりする。それは有限がもたらす美しさなのだと感じる。

例えば、無限だった場合に人はありがたみを感じることができるのだろうか。否、僕はそう思えない。有限であるから美しい。人との時間、充実の時間、苦労の時間、困難の時間。日本の四季はまさに、そんな感じだ。一年の中にサイクル的に感じる見える未来。来るとわかっているから安心するし、終わるとわかっているから瞬間を大事にする。

ともすれば、人間関係も同じなのかな?と思ったりする。

急激に仲良くなる人、いつの間にか消えている人、激情的に交わる人。いろんな人との交わり合いは四季に似てる。タイプがあれば、刹那があるから。

最近の僕はだれかと接するときに、四季を感じるようになった。この人は春っぽい。春っぽいとは、儚いということ。きっと今出来上がってきた関係値はどこかで崩れるというより、瞬間でなくなってしまう。でも、季節を超えていけば、また実をつけ、花を咲かす。お互いに必要な時にだけ現れて、深呼吸できる関係性。そんなイメージを感じると「春っぽい人だなぁ」と思う。

そんな人にこそ、「またね」って言葉が似合う。

「じゃあね」ではない。


また、会える人なのか。

枯れてしまい、2度と会えない人なのか。


それは、幹をしっかり携えて、行動していることが

「お互い」にできた時に答え合わせができるのかもしれない。


自分の気持ちを素直に吐き出す。

そんな関係性をこれからも作りたいし、

そんな人と出会いたい。


家族も、友人も、恋人も、仕事も。


四季を感じながら、やっていくものなんだね。



おれ、がんばれ。

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