人から応援されること
フォトグラファーを始めてまもなく1ヶ月。
はじめたのは2021年3月9日。
自分が撮りたい写真の方向性が見えてきた。
大きく分けて2つ。
①家族写真(子供の成長記録とその何気ない日常)
②シャボン玉ポートレート
どうしてそれをやりたいと思ったかは後日記載。
カメラを始めた理由とともにお話しします。
iPhoneでしか写真を撮ったことのない自分にとって、機材に30万強・プロカメラマンに師事するための15万という、併せて45万の支出を決めた事はとても大きな決断だった。しかも、ぼくは貯金がない。このノートを初めから見てくれている人はよくわかるはず。崖っぷちなのだ。
でも実はすでに収益として合計1万5千円のお金をいただいた。これは物凄いことだとおもう。
しかもいただいた方にはすでに新しい方を紹介いただいたり、4月にもう一度撮影を依頼されている。
右と左も知らない写真家に対して、依頼してくれることがあるすれば写真そのものの技術ではないことは明らか。では何がその対価を超える満足度につながっているのか。
ぼくは、「応援したくなった」が答えだと思う。ぼくがなぜ写真を始めたのか。なぜ毎日毎日写真と向き合うのかを話していた人に共通しているから。簡単にカメラマンを志すきっかけを先出すると、4歳の時に両親をなくし、記憶として顔がわからない自分が両親の顔を認識できたのは写真があったから。ということ。
写真のない時代に生まれていたら、ぼくは両親の話は物語でしか理解をしていない。これが原体験。
突然変わる人生を味わい、何度も死にたいと思った自分だから、日常の何気なさを憧れているし(今でも)、いつくるか分からない不幸に怯える怖さも知っている。写真に救われた人生だったし、心の拠り所にしていたから想いを込めてシャッターをきる。
きっとその想いが伝わっているんだと思う。
沢山の人を撮影させてもらって、経験を積むことが価値だと考えているし、実際そういう行動をしているからお金をもらう話をしたことはない。「撮影させてもらえることだけでも、ありがたいことなので無料でいつでもどこへでも伺います」と伝えている。
そんな時に撮影終わりに、「遠いところまでありがとう。ほんの気持ちだから交通費やお昼ご飯代として使って」といただくのだ。涙が出そうになる。
全くその気をおもってない自分からしたら、応援してもらえることが何よりの励みになる。がんばれ!は明日も地道で泥臭い努力をするための糧になっているのだ。心から、心から感謝している。
いつか恩返しをしたい。
これからも応援される人間になる。
日本一カメラを知らないけど
日本一また会いたいと思われる人間になる。
おれ、がんばれ。