優雅な朝食(完全なる母の趣味)
(過去記事:入試のつづき)
母は元々洋食を好む。
朝は常にパンと紅茶(母は煎りたてのコーヒー)、マーガリンは使ってはダメ、バターを使いなさい、平日はこんなもん。
私が高校生になってから、母は休みの土日のうち、例の宗教の集会がない土曜や祝日の朝食タイムに力を注いだ。
よく母と東京の御三家ホテルや外資系ホテルに宿泊した際、翌朝の朝食を子どもながらに楽しみにしていた。
ホテルの朝食は、温かいパンが何種類もたくさんあり、目の前で卵料理を焼いてくれたりもする。焼きたてのベーコンやハム、新鮮な生野菜をふんだんに使ったサラダ、ナッツにフレッシュなヨーグルト、はちみつもジャムも全て“ホンモノ″であり、バターもホテルの自家製かフレッシュバターだったりする。
特に私は生のフレッシュジュースと果物が好きなので、グレープフルーツジュース、オレンジジュース、りんごジュースを一列に並べ、温かいポットに入った紅茶と共にそれらを眺めるのが好きであった。
フルーツも、今より景気が良かった30年以上前は、季節のものがズラリと並び、食後に山盛りにして食べるのも楽しみのひとつだった。
母も″ホテルの朝食″が大好きで
『いいホテルに泊まって、朝食をホテルで食べないなんて泊まる意味がない。』
と言っていた。
そのようなホテルに“素泊まりするな″という意味だったんだろう。
それを真似たのか知らないが、土曜や祝日の朝起きると、隣のスーパーが9時半に開くので、パン屋で焼きたてのパンを買って来いと母が言う。
母から財布を受け取り、寝起きの顔のまま、朝イチのスーパーのパン屋に行き、焼きたてのクロワッサンや菓子パン、フランスパンなどを買う。
その後果汁100%のジュースやらフルーツやら、母に言われたものをひと通り買いマンションに戻ると、テーブルの上が綺麗になっており、花柄やレースのテーブルクロスがかけられている。
バッハのチェンバロなんかが流れている。
そう、バッハは朝、朝食を食べる時に聴くと気持ちがいい。
母は普段ほとんど家事をしないが、“朝食タイム″の日だけスイッチが入るようで、コーヒー豆をひいたり、卵料理やフルーツを用意したり、私には何の紅茶を飲むか茶葉の種類を聞いたりしながら、素敵な洋食器の大皿を出して、買ってきたばかりの焼きたてのパンをひとつひとつ丁寧に並べていく。
ホテルの朝食…とまではいかないが、焼きたてのパンの大皿を真ん中に置き、透明のガラス食器に2人分のヨーグルト、グレープフルーツは半分に割って、ジグザグのスプーンで食べられるよう必ずカットされている。
他にもリンゴやぶどう、いちご等の季節の果物、ベーコンエッグ、淹れたてのコーヒーと私の紅茶をテーブルに並べたら、優雅な朝食タイムの始まりだ。
カットしたばかりのバターと数種類のジャム、私の紅茶に入れるカットレモンも忘れず、ピーターラビットの小皿に入れてある。
母と2人暮らしなのに、テーブルいっぱいに並べられた朝食を目の前に、10時半頃からが、私たちの遅めの朝食である。
私も食べ盛りだったので、買ってきた焼きたてのパンは美味しいし、フルーツも大好きだし、アツアツの紅茶と果汁100%のグレープフルーツジュースを交互に飲みながら、優雅な朝食を満喫していた、途中までは。
バッハがひと通り終わったら、モーツァルトの魔笛やフィガロの結婚なんかのビデオを母がかけだして、次は“古典派タイム″になる。
母は、石みたいに硬いフランスパンが大好きで、バターとチーズを塗って食べている。
パンを食べ終わる頃から、母は何かのスイッチが入ったように、かかっているオペラのビデオに解説を入れていく。
黙って聞く私。黙るしかない。
いつも朝食の半分を過ぎた頃から、更なる新たなスイッチが入り、世界史好きだった母は、本の雪崩が起きそうな部屋から、大切な書物を持ってきて、残りの朝食をゆっくり食べている私に向かって、聞いてもいない講義を始める。
忘れもしない、母が作った手作りのいちごジャムを、残った紅茶にドバドバ入れて、それをかき混ぜて飲もうとしている私に、“サン・バルテルミーの大虐殺″の解説を聞いてもないのに、前からしてきた。
その書物には当時の虐殺の様子が細かく記されており、挿絵なんかも入っている“貴重な本″だった。
私は、朝から聞きたくもない世界史の残酷な歴史の講義を聞きながら、挿絵を見せられたり、時にはそれらを母が読み上げながら解説するもんだから、今食べたばかりの美味しい朝食を戻しそうになる。
反抗すると面倒なので、大抵うんうんと聞いて聞かないフリをしていたのだが、手作りいちごジャムを紅茶にドバドバ入れてロシアンティーにしている時は、さすがに気分が悪くなった。
『頼むからさ、朝からその話ヤメテよ、せっかく美味しい紅茶飲んでたのに台無し…』
と言うと、母もハッと我に返り、
『そうね…せっかく美味しい朝食食べてるのに…悪かったわね…』
なんてことは日常茶飯事であった。
せっかく朝からバッハを気持ちよく聴きながら、ホテルに真似た朝食を食べているのに…
せっかくバッハのあとはモーツァルトがかかるのに…(時期が時期なら、パリコレクション、ミラノコレクションがかかる事も多かった)
いつもいつも途中から、西洋の拷問の仕方とか、ギロチンの構造の話だとか、魔女狩りのやり方なんかの話を、母お気に入りの書物を片手に解説するもんだから、最後まで朝食を食べきった思い出がない。
途中で気持ち悪くなって、母の講義(解説)を遮って自室へ戻ってオェ〜っとなるのだ。
その頃には昼の12時になっている。
なので、豪華な朝食はブランチという扱いになる。
特に、サン・バルテルミーの大虐殺とフランス革命の話は飽きるほど聞いたので、豪華な朝食を見る度に、母の解説まで一緒に思い出す。
よく学校の友人が、土日は朝からアニメを見ているという話をしていた。
私の家でアニメなんていう娯楽は許されていない。土日の朝にアニメが放送されていることすら全く知らなかった。
唯一許されていたのは、池田理代子氏の“おにいさまへ…″がBSで放送されていた、それだけ。
“おにいさまへ…″は母も大変気に入り、一緒に観て録画もしたし、フルカラーの漫画本も買ってもらった。
よく男兄弟がいる友人宅の話では、朝から白ごはんにお味噌汁…なんていう純和食の朝ごはんの話を聞いた。
私の家で朝から白米が出てくる…オニギリだけの日が1年に1、2度あるかないか…くらいだった。
高校生になり、ミナやウッチー、ほかの友人がごくたまに泊まりにきた時も、母は“豪華な朝食″や“優雅なケーキセット″を用意し、友人に驚かれた。
朝からバッハを聴くのは清々しいし、手の込んだ朝食は東京の有名どころのホテルを真似たんだろう。
それはそれでとても良い思い出なのだが、豪華で優雅な土曜の朝食は、サン・バルテルミーの大虐殺や西洋史の残酷な講義(解説)付き朝食になるので、途中から食べる気を失せる…という事は誰も知らない。