配偶者の最期、感情と理性
大切な家族を失うとき、人は感謝し冷静に現実を受け止めようとする自分と、怒り、惑い、悲しむ自分がいて、振り子のように揺れ動くものなのかもしれません。今日、偶然出会ったこの記事(書かれたのは3年ほど前)について考えたことを書いてみようと思います。
今日の記事は3分くらいで読めます。
記事の要約
医師の占部まりさんは、同じ時期に似た境遇にある二組のご夫婦に会いました。どちらも奥さんが末期がんで衰弱され、もうご飯が食べられなくなったということで病院を受診。意識も混濁し長くはない状況と考えられました。
どちらのご主人も、奥様が遠くない将来、亡くなることは頭では分かっていましたが、同時に奥様がいなくなることを認められないという想いが強くありました。記事の一部を抜粋させて頂きます。
ご主人たちは、誤嚥、肺炎のリスクが高まろうとも食べ物を口に入れることを最後の拠り所とされていました。でも、奥様は口に入れたものを飲み込むことができない状態でした。さらには、そうすることを奥様は望んでおられませんでした。
占部先生は、その行為に込められた想いを考えるとお二人を止めることは出来なかったと書いています。看取りに正解はあるのか、医療者、支援者が出来ることは何だろうか…。記事はここで終わっています。
信念を脇に置く
占部先生は多くを語っていませんが、この話を聞くと多くの医療者はもやもやする方も多いのではないかと思います。どのみちもう長くない患者さんに、生きていて欲しいからって無理やり食べさせるのってどうなの?奥さん、希望してないよ…私も同じ立場なら嫌だよ…正論ですし、正直私もそう思います。
こう思うのは、医療者は理性と感情のバランスが完全に理性に傾いているからです。これが大切な家族であればどうでしょうか?もちろん、家族にも色々な人がいますから一概には言えませんが、想いの部分が強くなり葛藤する人も出てくるのではないかと思います。
医療者も仕事をしていると多くの経験から価値観、死生観が育ち、信念のようなものを持つ人が多くなります。例えば「無理な延命は良くない」など。しかしそれを押し付けることをせず、信念を一旦脇に置いて患者さんや家族と向き合うことは、医師に必要な態度ではないかと私は思います。
医療者に出来ること
もちろん、これはただ家族の言うがままにするのが医療者の正しい態度だという意味ではありません。私の考える医療者の役割は、対話を続けることです。患者さんや家族の知識量を確認することは大切です。知らないで決断しようとしていることも結構あります。
また、ともすると「自分の感情」に偏りがちな家族に、「患者さん」を中心に考え、判断するという方向性を示すことも大切です。
その後で、迷いながら選択した家族の決断を支持したり気持ちを支えることも、医療者に出来ることではないでしょうか。
胃ろうを例に挙げれば、それを医療者の価値観で止めさせたり、ただ言われるがままに造設するのではなく、胃ろうのメリット、デメリットを家族に伝える。これにより家族は知識を持つと共に、より理性的な決断が出来る可能性が高くなります。そして最終的に選んだ結果を、全力で支える。これが私の考える、理想的な医療者の態度です。
まとめ
今日、見つけた記事について自分の考えを書きました。
■家族の感情の揺れを受け止めつつ
■しかし言われるがままに医療行為を行うのでもなく
■まず必要な知識を確認し伝え
■出来る限り「患者さん中心」の決断が出来るよう助ける。
■そして最終的な選択を応援出来る。
そんな医療者でありたいと思っています。
最後までお読み頂き、有難うございました。
よろしければ、他の記事も是非お読みください😊
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