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#実話怪談 伝承奇譚「橋」

 現在の久保憲司さんは三十代前半だが、当時はちょうど十歳だったという。

 子供の頃の彼は山の麓にある小規模な村に住んでいた。村の詳細は久保さんの希望により伏せておくが、東北地方でも田舎とよばれる地域にある村とだけ記しておく。
 村には歩行者用の木造橋が南北にふたつ並んでかかっていたそうだ。北側の橋はかみノ橋とよばれ、南側の橋はしもノ橋とよばれた。どちらの橋も塗装すら施されていない簡素な代物で、ゆるやかな弧を描いていた。

 橋は稲田の横にある小道にかかっており、下を覗いても川などは見あたらない。たとえ橋がかかっていなくても、通行に不便なんてなかったはずだが、なぜかそこに橋がかかっていた。久保さんは今でもそれを奇妙に思っている。

 そのふたつの橋には決まりごとがあった。東から西に向かうさいは上ノ橋を渡らなければならない。西から東に向かうさいは下ノ橋を渡らなければならない。
 決まり事を破った場合の、戒めとされる言葉も、古くから口伝されていた。

 ――橋をたがえば、出てけぬ。

 ただ、それが戒めなのは確かであっても、その詳細はよくわからなかった。
 〈橋を違えば〉は上ノ橋と下ノ橋を間違えて渡ればという意味だろうが、〈出て行けぬ〉の意味を知る者はひとりもいなかった。意味がわからないにもかかわらず、橋の決まり事だけは、大人も子供もしっかり守っていた。
 
 ところが、あるとき橋の決まり事を破った子供がいたという。久保さんと同じ小学校に通っていたUくんだ。Uくんは少しばかりやんちゃな性格の男児だった。

 橋の決まり事に従うのであれば、西から東に向かう下校時は、下ノ橋を渡らなければならない。しかし、あるとき数人で下校していると、Uくんが上ノ橋を渡ると言いだした。
 久保さんたちはそれを止めたのだが、Uくんは上ノ橋を駆け抜けていった。悪さをすれば英雄とみなされる。そういった子供特有の価値観から、あえて決まり事を破ったのだろう。
 Uくんは橋を渡り切ると、すぐにこちらを振り返った。その顔は自慢げだった。久保さんたちは下ノ橋を渡ってUくんに駆け寄り、やはり子供特有の価値観でUくんをはやし立てた。

 ただ、久保さんはそうしながらも、どことなく嫌な予感がしていた。橋の決まり事を破ったことに、不吉なものを感じていたのだった。なにも起きなければいいのだがと、子供ながらにUくんの身を案じた。
 しかし、久保さんのそういった心配は、杞憂に終わったようだった。翌日、Uくんは何事もなく元気に登校してきた。以後も彼の身にこれといった異変は起こらず、相変わらず少々やんちゃにすごし、久保さんたちと一緒に小学校を卒業した。

 それから二十年以上の月日が経った。
 現在の久保さんは村を出ており、大きな街で暮らしを立てている。村の友人たちも大半がそうだった。村に留まったままでは就職することすら難しく、希望する仕事を街に見つけて村を出たのである。
 ところが、Uくんだけは村に残ったままだった。

 もともと小規模だった村は過疎化が進んでいく一方で、今ではほとんど限界集落といったありさまだった。廃村となるのも時間の問題と思われた。
 将来のことを考えるのであれば、村の外に暮らしを移したほうがいい。誰にでもわかる簡単なことだというのに、なぜかUくんは村から出ていこうとしない。
 そんなUくんの近況を友人などから聞いたとき、あの戒めが久保さんの頭の中によみがえるのだという。

 ――橋をたがえば、出てけぬ。

 また、久保さんたちの親世代の人たちも、大半が村での生活を諦めて、すでに余所よその土地に移り住んでいる。しかし、まだ村に残っている人たちも、ほんのわずかではあるもののいる。
 もしかしたら、その人たちもUくんと同じではないか。同じように橋を違えたことがあるのではないか。
 久保さんはそのように思っているそうだ。

     (了)


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