「生き延びるための研究」
教職大学院出て先生にならないと決めた後に、ちょっと意地悪な指導教官の一人から、最後修士論文の口頭試問の際に「あなたの研究がこれから就く職業の何に役立つんですか?」と聞かれたけど(別に悪意があって聞かれた訳ではないと思っている)、その時悲しいというか寂しい気持ちになってそれなりに
綺麗な言葉並べて答えることには答えたけど、なんか後味悪い感じは残った。それから別にその場面のことは忘れてたけど、今思えば、自分は「生き延びるため」に研究をしてたんだと思う。別に将来の職業に直結するとか、そんな視野で研究してなかった。自分の興味、なぜか心惹かれるもの、
なぜか自分を捉えて離さないものを知りたくて、本を読んで、考えて、文章にして言葉にして、また本を読んでいた。そして、どうにかこうにか論文に落とし込んでいた。「職業に役立つか?」というのは難しい質問で、率直に答えるなら「そもそも上手く生き延びるために研究していたから、この研究のおかげで生き延びること
ができたわけでそういう意味で生き延びることが職業にもちろん繋がったわけだから役立った。間接的には、完全に役立っている。でも直接的にどこのどういう部分がどう直接的に次の職業的業務に生かされるかは分からない。そういう意味では役立っていないかもしれない」ということになる。もちろん、
緊張感のある教室で指導教官数人の前にポツンと座らされた学生がそんなこと当意即妙にパッと返せない。思ってもないきれいごとを並べてその場は何とか誤魔化せたが、何となく後味の悪さは残った、ということなのであろう。後輩の院生にはぜひ、「生き延びるための研究」をして欲しいと個人的には
思う。「将来の職業に役立つ」とかそんな目線で研究して欲しくない(あの先生もそういうことが言いたくて言っていたわけではないと思うがそれでも)。 「生き延びるための研究」はなにより、本人の実存に関わっていることだから自然、勢いが違う。気迫が違う。緊張感が違う。だから、面白い。読者を
読ませる。人の関心を呼ぶ。 最近社会人になってから、また本を読むペースが増えた。給料をあげたい、自分に仕事をくれたお客さんの役に立ちたい、この状況を何とか脱したい。その思いは切実で何より、「生き延びるため」に読んでいるのかもしれない。
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インスパイア →坂口恭平『生き延びるための事務』
インスパイアされた本を書いてる人が多分インスパイアされた
であろう本 →V.パパネック『生きのびるためのデザイン』
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