「健全な自信」と「不健全な慢心」
【自信を持つことと慢心の違いは何か】
自信を持つことは大事だ。自分は上手くやれるというポジティブなイメージが物事を力強く前進させ、望んでいる未来に向けて自分を前向き投げかけることができる。それは何か物事を成功させたい時にとても重要な要素のひとつになる。
一方で、慢心は自分はできると思い込み過ぎて自信過剰となり、成功するために必要な準備を怠り、自分の能力にあぐらをかくことである。ではどこからが健全な「自信」でどこから行き過ぎた「慢心」へとなってしまうのだろうか?ひとつ考えられるのは、必要な準備をしなくなった時、いつもやっていることを
「これはしなくても大丈夫だろう」と高をくくり、しなくなることはひとつのサインだといえるのではないか。あとはなんだろう。慢心は、基礎をおろそかにする。自信は強烈な基礎に支えられている、と定義することもできるかもしれない。何事も基礎がなければいい仕事ができない。となると、自信はとても
不安と位置が近いのかなとも思う。自信があるときは指摘や相手の存在を恐れないけれど、慢心の時は、人に指摘されることを恐れ、相手の目を気にする。何故なら心のそこでは、その自分の自信が、まるで風船のように実体の伴っていないものだと一番気づいてるからである。ならばこう定義できるかもしれない。
自信は人の目を気にしないが、慢心は人の目を気にする、と。生きていると、長く同じことをやっていると、今いる自分の立ち位置が健全な自信の中にいるのか、危険な慢心の中にいるのか、わからなくなる。ひとつ、「自分が周りの目を気にしているかどうか」はその境目を意識する標識になるかもしれない。
「自信」と「慢心」の壁はどこまでも薄く、自己点検が欠かせない。
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