フリーランスとNPOの10年
「コースケさん、カメラマンがいなくなりました!」いなくなりはしないだろうが、飲み仲間から電話を受けたのは、イベントの前日。趣味でカメラをやっていたけれど、イベントの撮影はほぼ初めてだったんじゃなかろうか。親を頼れない若もののための奨学金支援プロジェクト、カナエールというプロジェクトのスピーチコンテストにカメラマンとして招聘されたのが、僕のブリッジフォースマイルとの最初の接点だった。
その後、カナエールのイベントのプロモーション、特にイベントの告知・集客を担当するようになる。並行して、ブリッジフォースマイルの本体のWebサイトの管理・運営のサポートも請け負うようになる。当初はボランティア活動だったが、その後、業務委託で仕事としても関わるようになった。
僕は主に団体のバックヤードの仕事をメインフィールドにしていて、対人支援のプログラムの現場にはほとんど顔を出さなかったし、付き合う事務局も子ども支援畑よりかは広報畑の人たちだった。今は広報・ファンドレイジングプロジェクトのWeb解析・改修チームというところに所属しつつ、引き続き細々とした団体のWeb周りのサポートをしている。
なんせ、10年関わっているので、細々と歴史を語ることはできるのだが、冗長になりそうなので、やめておく。10年経って、何を書こうかと思ったのだが、改めて、フリーランスとNPOということについて書いておきたいなと思った。
社会問題とフリーランスとNPO
社会との接点の実感、ってどういうことにあるだろうか?僕の場合は多分に成り行きで始まったけれど、親を頼れない若ものの支援、という意味において、ブリッジフォースマイルとの関わりを通じて、少なからず社会問題に関わる手応えを感じている。
日々のクライアントワークでも社会問題に関わることがないとは言えないし、僕自身、ソーシャルセクターにかかるような仕事もままあるのだけれど、As a memberとして社会問題に関わっている意識は、やはりこの活動にある。
大きなリソースを抱える企業に所属してるわけじゃないフリーランスだから、NPOの力を借りて、社会問題にアプローチしている。NPOは専門性の高い人やモチベーションの高い人の集合体だ。一人ではできないな、ということもブリッジフォースマイルでだからできた、ということは多い。
チームとフリーランスとNPO
社会的な孤立とまでは行かなくても、放っておけばどんどん一人になってしまうのがフリーランスでもある。NPOの活動を通じて様々なチームのお世話になったことは大きな財産だ。色々な人と出会い、色々な人と語らった。出自や個性がバラバラなのもNPOの良いところだと思う。
先のカナエールの時はプロモーションチーム、現在は広報ファンドレイジングプロジェクトのWeb解析・改善チームというチームに所属している。チームのメンバーとは仲良くなるし、同じ目的を持って活動して達成するのは、やはり気持ちが良いことでもある。
親を頼れない若もののサポート、と一口に言っても、様々な解釈や背景や動機があって、それは人それぞれだけれど、何となく、同じような未来の姿を見つめながら、活動を継続していく、それが10年続いたというのは1つのマイルストンの達成になると思っている。
業務委託とフリーランスとNPO
よくある話なんだが。フリーランスが無料働きするな、という話。これに関して議論をごにょごにょ今はしないが、そもそも僕は無料働きをNPOでしていない。ほぼほぼ仕事と見做せるものに関しては、業務委託契約の中で、有償の仕事として、だから、僕の通常のクライアントワークと同等の立て付けで、対応させてもらっている。
これも色々議論のある話で、多くの人がボランティアとして関わっている中で、業務委託というのはどうなんだ?ということも当然出てくるわけだけれど、組織全体で見た時に、業務委託も人材を有効活用するための形態として定着し始め、業務委託で関わる人も増えて来ている。
最古参とは行かずとも、10年付き合ってるわけで、ブリッジフォースマイルは、フリーランスとして付き合いの長いクライアントの1つだ。このことが結果的に長い付き合いを可能にして来た部分もある。
まとめ
社会的養護の問題は、なかなか解決し得ない社会問題だと思っている。虐待がゼロになるのは難しいし、虐待以外にも親を頼れない様々な理由というのはあるし、仮にゼロになったとしても、その平和な状態を維持するには、きっと別の努力がいる。
なので、できる人ができる範囲でゆるゆる関わり続けていくことが大事だと思う。体力と根気と忍耐、みたいな勝負かも知れない。サポーターとして関わる人、寄付で支える人、関わり方は様々で、僕はちょっと亜流というか、変わり種かも知れないけれど、これからも社会問題により多くの人が関係性を持てるような環境を作っていきたいと思っている。
笑顔の架け橋になれるよう。
とりあえず、まずは10年、ありがとうございました!