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波乱だった過去【4・家庭訪問できない子】

幼稚園も行かず
ふらふら過ごした幼少期を経て
私もやっと小学校に入学することになった。

祖父のボロアパートからの通学。


そんなでも学校に行くようになって
少しずつお友達が出来始める。

学校が終わってから
遊べるお友達も出来た。



ただ、誰のお家に行っても
みんな一軒家だったりマンションだったり
どんなに狭い家だとしても
私ほどのボロアパートに住んでる子なんて
誰1人としていなかった。


ジワジワと生まれてくる
初めての感情

”いいなぁ…”
という羨望感

”私は恵まれない環境なんだ”
という劣等感

6歳の私が初めて感じた
不協和音を奏でる心のざわつき。


自宅の問題だけじゃない。

どこの家にも
お父さんとお母さんが居る。

兄弟がいる。

学習机がある。

自分の部屋がある子もいたりする。


そして給食のない日は
お母さんが作ったご飯が出る。

おやつまで出てくる家もある。




数え上げたらキリがないくらい
私には見るもの全てが
羨ましくてたまらなかった。





そう言えばこの頃
父から学習机が送られてきたことがあった。

小学校に入学する私に
父が学習机をプレゼントしてくれたらしいのだ。



だけど
祖父とひいおばあちゃんと暮らす
たった4畳半のアパート。

こたつと
年中敷きっぱなしで茶色くなった
祖父のせんべい布団で
その部屋はキャパオーバーだ。

当然ながら学習机なんて置けるわけもなく
私はその机を開封することもなく
ひと目も見ることすらできないまま
大人たちの判断で
送り返されてしまった。


とても悲しい出来事だった。




”私はみんなとは違うんだ”

”欲しいものは手に入らないんだ”

そんな現実を思い知った。





そして
そういうひとつひとつの経験が

”人生は期待しちゃいけない”

”私はみんなとは違う
不幸な子なんだ”

という、自己卑下な
歪んだ私の思考を作ってしまった。



そんなことがあった数日後
1年生の初めての家庭訪問の日も
私だけ無しという異例の事が起きる。

家庭訪問は各家に先生が順番に廻るのだが
前の家の訪問が終わる時刻になったら
次の家庭訪問の子が先生を迎えに行く
というシステム。


楽しみに前の子の家に先生を迎えに行き
アパートの前まで連れて来たが
先生は見た瞬間ビックリして
入ることに躊躇した。

母代わりで対応する予定だったひいおばあちゃんも
家から出て来て
先生とどうやら話し合っている。


結局、外で軽く挨拶だけして終わるという
微妙に笑い話にもならない結末だった。



きっとその頃に
”劣等感” という土台が
私の心にシッカリ
作られてしまったのだと思う。




そして2年生になって
4歳の家族揃っての最後の誕生日以来
やっと嬉しいことが起きる。


念願の引越しだ!


さすがの母もこれではダメだと
やっと部屋を探してくれることになった。



なかなか会えない母と一緒に廻る
新しいお家探し♫

すごく嬉しくて楽しくて
一気に幸せな気持ちになったのを
今でも覚えてる。



そして決めたお家。

4階建てのコーポの3階にある
北向きの部屋。

日当たりも悪く
6畳の和室と6畳のキッチンという
今思えば決して広くない家だったけど
1DKのそのお家は
お風呂もトイレももちろんあって
私には豪邸のように感じた
最高のお家だった。



子供部屋もないけど
暗くてクサイ臭いの染み付いた
あの祖父のアパートとは
比べ物にはならないくらい
地獄から天国に行ったような
幸せな空間だった。



いつも開いたままの
腐った木の扉の玄関には
常に居住者の男たちの靴が
足の踏み場もないほど散乱していて
入った瞬間
蒸れた靴の異臭がする…


そんなボロアパートからの解放。

そして同時に
怖い祖父からの解放。



アパートの時は預けられてて
なかなか会えなかった母も
引越したことで週に2~3日は
帰ってきてくれるようにもなり
そこで母とひいおばあちゃんと
3人での新しい生活が始まった。


そこからは
きっと幸せな日々が続くんだと
6歳の私は信じていた…


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