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自分ではない誰かのための旅

母とはもうかれこれ10回ぐらい一緒に訪韓している。

今回は母のパスポートがあと3ヶ月で切れるタイミングで、もう実家の犬も老いて世話が必要だし、これからしばらく海外へは行けないだろうから更新はしないと言うので、それならば最後に思い出作りをしようと母の大好きな韓国に行くことにしたのである。

四国の限界集落に暮らしていると、海外旅行は地方空港から羽田まで飛んで成田まで移動して(もしくはそのまま羽田)からフライトすることになる。

しかし、母は大阪に住んでいるため関空から飛ぶことになる。
これが友人同士なら現地集合で、となるが一人で国際線に乗ったことのない母が不安がったので、私も大阪に前泊してから関空に向かった。

行きのピーチ航空が1時間の遅延・さらには仁川到着後も仁川〜ソウル駅をノンストップで走る一見早そうな高速鉄道で市内へ出ようとしたことが災いし、ホテルに着いた頃には空港到着から3時間も経っていた。

直通列車が1時間に2本ぐらいしかないため、直前のチケット購入だと満席であえなく40分後の列車になってしまうのだ。
次回からは一般列車(各駅停車みたいなの)か、いつも通りリムジンバスにしようと心に誓った。

今までイチかもしれないプレジデントホテル


正直宿の情報なんてexpediaを見る方が有益だし、一泊2万/室も出せばそこそこのホテルが見つかるだろう。

だけど、このホテルには写真では伝わらない”香りの良さ”があったので、ぜひこれからソウルに泊まる予定のある方におすすめしたい。

エントランスをくぐると、ラベンダーとゼラニウムっぽい爽やかな香りが鼻から肺にブワ〜〜〜っと広がる。

私も母もロビーに入るたびにこの香りを摂取したい!!と鼻から吸って、また鼻から吸った。吐くのを忘れるぐらい吸った。もはや過呼吸だった。


ここに1時間に1回ぐらい帰ってきたい
市庁駅からすぐのソウルプラザの目の前


口コミで唯一ネガティブだった水圧の弱さも気になるほどではなく、廊下も部屋もレトロな雰囲気を残しつつリノベーションされていて、古いホテルだからこその広い間取りでゆったりと過ごせた。

自分ではない誰かのための旅

途中、東欧から来たと見られる同じく母娘旅の二人組に出会った。
ソウルの交通機関はSuicaのようなICカードを使うと便利で、それをチャージしながら乗っていた。

券売機の前で困った顔をした娘さんの方が、私に

「私の母はシニアなんやけど、それでも乗車券は必要なんか」

と聞いてきた。

「韓国のルールは知らんけど私の母もシニアや。けどICカード使てるわ」

と返すと、

「それどこで買えるんや」

と続き、ちょうど昔の旅行で買って使っていない1枚が手元にあったのを思い出し、そのカードを手渡した。

「ええんか!?ほんまにええんか!?ありがとう!!」

とこの上ないぐらい気持ちよく受け取ってくれた娘さん。

海外で善行をすると日本の3倍ぐらい気持ちよくなれるというのが私の持論の一つだが、それは異国でのトラブルで困り度が高めの旅行者が自ずとコミュニケーションもリアクションも大きく、助けた方のこちらの喜びも比例して大きくなるからだと密かな仮説を持っている。

今回の旅の目的はあくまで母の”最後かもしれない”韓国旅行をサポートするためだったので、母が興味のなさそうな博物館や記念館の見学はやめておいた。

一方で、母の希望は至って控えめだった。

市場でおでんとキンパが食べたい
シートマスクが欲しい
タコのチャンジャと塩を買って帰りたい

カンジャンシジャンとオリーブヤングとロッテマートで完結しそうだ。

ちなみにタコのチャンジャと塩というのは、料理人の息子から頼まれたものであり、この時点で純粋な母の希望はおでんとキンパとシートマスクだけだった。

もう新大久保で十分やないか。


何を食べても秒で満腹を演じる母

しかも母は何を食べてもすぐ「もういらんで」と言う。

念願の広蔵市場に行った時も、食事の前には「緑豆チヂミもビピンパも食べる!」とか「晩ごはんのお金、1万円で足らへんやろか」など、鼻息荒く韓国料理への意気込みを語っていた。

しかし、屋台で一食目のビピンパと冷麺を食べたあたりで
「もう食べられへんわ」と言い出した。

まだキンパもおでんも食べていないというのに!!!

なぜだかこんな時はテスト前に家でバリバリ勉強していたくせに当日友達の前では「えーあたし全然勉強してないー!」と言い出す女子高生を思い出す。なんの見栄なのか。

エビ饅頭やタコの店など誰か一緒に食べてくれる人がいるなら引き続き食べ歩きを楽しめそうな店が目に入り、母の方へ目をやると


「もういらんで」


わかったっちゅーねん


そのくせそ1時間もすると何か口にしていたりする。

こういうところが本当に”大阪のおばちゃん”だなと思う。

その母の言動に毎度ほんのりイラッとするのは、母に腹がたつというより、実のところ私にも同じような状況がよくあるからなのだ。
結局は母を見ながら、どこか自分を見ているようで遺伝子レベルで組み込まれた大阪のおばちゃんにイラつくのであろう。

母の大好きなおでんは2日目に食べました

控えめグルメ旅はあっというまに目的を果たしてしまい、お土産に母はスーパーマーケットで大量のタコチャンジャと韓国産の竹塩や天日塩など韓国の主婦でも1年で使えそうにない量を買っていた。

キムチ売りのおばさんと仲良くなって2回も行った

そんなわけで、残りの時間はシンサドンでおしゃれな店を見て回ることにした。

目に留まったおしゃれなカフェでぷるぷるのパンケーキを食べてみたいという母。

なぜか店員が厨房一人しかおらず、注文聞いてもらうまで厨房で働く店員を見つめる羽目に

SNSも投稿しないし映えなど微塵も意識したことのない母が、純粋に目の前の高く膨らんだふるふると揺れるパンケーキに魅せられているのがとても愛おしかった。

今書きながら調べたらこの店の名前は「東京スフレ カロスキル店」だった。

今回の旅は韓国旅行というより、母との都会の街ブラという感じで、それはそれで贅沢な時間の過ごし方なのかもしれない。

かつては海外旅行となれば、マイルを駆使して航空券を取ったり宿を積極的に探したり、勢力的に計画していた母だったが、歳を取るにつれ航空券を私に取ってほしいと言うようになり、泊まるホテルも行く場所も私が決めることが増えた。

今回の旅行も以前のように目まぐるしくあちこち移動をするようなスタイルではなく、やりたいことを1つ2つ携えて、あとは気ままなお散歩のような旅。

私にとっては海外旅行は自分のフィールドなので、頼られることも、母が好きそうな場所を探して連れて行けることも、私にできる数少ない親孝行の一つで嬉しかった。と、同時にそれはやりたいことも体力も気力も少しずつ衰えている母の老いを目の当たりにする機会でもあった。

実家に帰ると私は特に家事も炊事もせず、上げ膳据え膳で、母は掃除も洗濯も大人4人分をこなし、食事も3食母が全て作っている状態。そんな「あの頃の母」と何も変わらない母を見ていると、今時のアラ古希は元気だな、なんて呑気に思ってしまうけど、確実に人生のペースを落としている。まだまだ元気でいて欲しいなと願いつつ、人としていずれやってくるこのような小さな変化に立ち会えること自体、娘としては幸せなことなのだと思う。

帰りの飛行機は、東京に行かなければならない私と母は別々の便だった。

私のフライトが2時間ほど後に出発するため、空港へは一緒に行ったものの、私の手荷物の預け入れ時間が開始しておらず見所のそう多くない空港で時間を潰した。

搭乗まで1時間を切った頃、母は滞在中にハマったバナナウユ(牛乳)を嬉しそうに飲み、ひとり出国ゲートに向かった。

国際線に一人で乗ったことのない母は保安検査を無事に通過して、飛行機の中でちゃんと携帯品申告書を書けるだろうか。
帰国の日、朝から申告書の書き方を検索して予習していた母の姿が浮かんだ。

「帰りの飛行機はついてしまえば日本語も通じるし、わからないことがあったら周りに聞けばいいから」

まるで子どもを見送るように、気がつけば私の方がソワソワしていた。

70歳を間近に控えて、たとえ復路であっても一人で国際線に乗れたら、いつの日か往路だって一人で乗れる日が来るんじゃないかと思っている私がいた。

まだまだ母と一緒に旅がしたい。




ちなみに後日談だが、母は見事に受託荷物の検査にひっかかっていた。

スキャンに映った四角い粉状の物体は、息子を思って大量に購入した塩だったことは私だけが知るわけだが、空港職員に呼び出された母を見てある意味運び屋には違いないとニヤニヤしたことは黙っておこうと思う。

皆様、粉末の持ち込みにはお気をつけて。


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