どうして素敵な女性は突然風のように消えてしまうのだろう
ずいぶんキザなタイトルだと思う。これはわたしが先週の土曜に映画『はちどり』観た感想の、結論のようなものだ。
わたしはこの映画を他の映画のように、誰かと気軽に感想を言い合うことが出来そうにない。というか、他人による“他人事”な感想を聞くことに耐えられそうになくて、観た映画が取り上げられていれば必ず聞くラジオ番組『アフター6ジャンクション」の宇多丸さんによる映画評も聞いていない。火曜日の今日、オープニングトークで『はちどり』の話題が出た瞬間、ラジオを消した。なかなか不便だ。
「他人による他人事な感想を聞くことに耐えられそうにない」と書いたが、裏を返せばわたしにとってこの映画は「自分事」だ。「これはわたしだ!」と叫ぶつもりはなく、ただ自分の普段隠している一部の映画であると思う。極めて私的な部分について他人が語るのを、冷静に聞く気持ちにはなれない。
誰かと語り合えなくても、頭のなかでグルグル蠢く何かを言語化しておかないと大変なことになりそうな気がして、こうして感想めいたものを書き始めた。他人の「はちどり」評の代わりに、自分自身のために書く。
※これより、映画本編のネタバレを含みます。
わたしは、わたしのまま14歳の人にウーロン茶を淹れることはできるのだろうか。
事件らしい事件は起こらず、ぼんやりと鬱屈した日々を送る14歳の少女・ウニ。彼女が通う漢文塾に若い女性の先生・ヨンジがやってきた。この、ソウル大学を休学して漢文を教えているヨンジ先生に、わたしはひと目ぼれした。多分、ウニもそう。
階段でタバコをふかすヨンジ先生。大きめの渋い色のジャケットに、白Tシャツ、体に馴染んだデニムパンツ。洗いざらしの髪。薄化粧の白い顔。なんともいえない不思議な色気のある姿に心を奪われた。わたしが10代ならヨンジ先生に強く憧れ、あんな風になりたいと思うだろう。20代だったら、同じような服を古着屋で探して、真似するかもしれない。30代の今、やっとわかる。あんなふうには絶対になれない。
静かに話すヨンジ先生は、時折示唆的なことを言う。それらは彼女の思慮深さや教養を裏付け、魅力を増す。授業で紹介した「たくさんの知り合いが居る中で、本当の心はわかるのはどれくらい?」という意味の禅語。先生には、本心を打ち明けられる人がいるのか、わたしは先生の心を理解することはできるのだろうかーーまるで恋をしているかのように、彼女のことをもっと知りたいと思う。
主人公・ウニの視点で物語が進むので、当然ウニに感情移入し、共感しながら観賞する。14歳の頃に感じていた鬱屈や寂しさを脳内の鍵付きの引き出しから取り出しながら観ることになる。ヨンジ先生が登場するまでのウニの家族や学校での様子を見て、観賞しているわたしも思春期に肩までどっぷり浸かっていた。
自分もウニのつもりで映画を観ているが、頭の端っこではわかっている。わたしは30代で、そこそこ分別があるとっくに思春期を抜けた(はず)の大人である。
一緒に授業を受けていた親友と大喧嘩し、両親の自分への無関心さを痛感させられる出来事も経て傷ついたウニに、ヨンジ先生は温かい烏龍茶を入れる。この場面で思ったのは、「わたしは深く傷ついた14歳に烏龍茶をいれることができるだろうか」ということだった。彼女が全く欲していない一般論を述べたり、的外れなことを言ってしまいそうだ。そして、恥をかくことを恐れて何もできないのではないか。もういい大人であるはずなのに、自分より若い人を励ますことができそうにない。そんなことを思い知らされた場面だった。
わたしはまだ全然大人になれていないし、むしろ10代から薄く薄く思春期を伸ばして生きている。薄めた思春期の真っ只中にいるから、ウニに過剰に共感し、ヨンジ先生に強く憧れるのだろう。だから、他の人の「はちどり論」を受け入れられなくなる。我ながら相当イタいとは思う。ヨンジ先生は、わたしの「素敵な大人の女性に目をかけられたい欲」と「いつか素敵な大人の女性になりたい欲」の間にある現実に気付かせてくれた。
『はちどり』を観て思い出した本(小説とエッセイ)
中学生の頃の、思春期の濃いところを描いた小説2冊と、ヨンジ先生のような魅力ある女性が書いた日記をまとめた1冊と、ヨンジ先生のかっこいい部分が似ている女性と、彼女を慕う少女の小説1冊。『82年生まれ、キム・ジヨン』との共通点はパンフレットを始め様々なところで言及されているので省略。
・重松清『エイジ』
中学生、ゴリゴリの思春期の時に何度も読んだが、20代からは1度も読んでいないし、この作品を思い出すこともなかった。今あらすじを読んでもほとんど思い出せないのが不思議なくらいではあるが、14歳当時めちゃくちゃ共感した記憶がある。行き場のないエネルギーとか、モヤモヤを持て余していた。
・村田沙耶香『しろいろの街の、その骨の体温の』
だんだん廃れていくニュータウンに暮らす思春期の少女が主人公。あの頃は学校や家が世界のすべてで、狭い人間関係にものすごく左右されていたし、影響も受けやすかった。コンプレックスはどんどん煮詰まり、違和感は見てないふりをしていた。思春期を描いた小説のなかで一番好きかもしれない。10代の頃に読みたかった。
・小山田咲子『えいやっ! と飛び出すあの一瞬を愛してる』
ブログ日記が書籍化された1冊。著者の小山田咲子さんが21歳の時、夜中に突然失恋した女子高生が訪ねてきた時のエピソードを綴った「明け方の訪問者」は、ヨンジ先生がウニに烏龍茶をいれたシーンに似ている。小山田咲子さんは、24歳の若さで旅先での事故が原因で亡くなってしまった。なぜ素敵な人、惜しい人は急にいなくなってしまうのだろう。
・長嶋有「サイドカーに犬」
『猛スピードで母は』に収録された短編小説「サイドカーに犬」。小4の夏休みに、父親の愛人「洋子さん」と過ごす物語。映画化されていて、竹内唯子が洋子さんを颯爽と演じていて、ハマり役だった。自由で飄々としていて、誰にも媚びない洋子さんと、ヨンジ先生の佇まいが似ている気がする。彼女も、やっぱり突然いなくなってしまう。