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心の平和の為には、戦うことも必要なわけで

苦手なことから逃げる。
ただ、逃げ続けていると自分の為にはならない。

今日もやりそうになった。
コミュニケーションから逃れたくなったのだ。

先日、会社でものを貰った。
僕の息子にね、とお菓子を結構大量にもらったのだ。

そんで、お礼はしました。
貰った時に俺はもちろんしたけど、こういった場合は息子にあげた時のリアクションやらなんやらを、改めて伝えるのが一般的ですよね。

「この前はごちそうさまでした!息子がすごく喜んでいましたよ!」

なんて感じの会話を繰り広げるのが普通なんでしょう。

普通とか一般的とかを使うのは嫌ですがね。
単純にもらった人にお礼を言いたいから、っていうのが一番ですよね。

ただね、僕はそういったことから逃げたくなるんですよね。
なぜか。コミュニケーションをとるのがめんどくさいからだ。

思った通り言葉が出ないし、なによりこうやって言葉が出ない人間と話していても、相手に不快な思いをさせるのではないかと思うからだ。

「…なにこの人!なに言っているかわかんない!!」

なんて思われるのが、死ぬほどつらいから逃げたいのだ。

話すのが苦手になった具体的なエピソードは思いつかない。
日常的に『よくわからないことを話して自己嫌悪』というのを繰り返してきたので、何がキッカケかはもう思いだせない。

ただ、やはり逃げ続けるのがそもそもの間違いで。
逃げ続けているから苦手なものは苦手なままであり続けるわけで。

どこかでそこに反逆しないといけないわけで。
反逆ってなにかって、

「やりたくない!」と思っている自分に対しての反逆

これが絶対的に必要になる。
いわば自分の意志とは違うことをするわけですからね。

自分がやりたくない!と思っていることに反逆するのだから、ある意味自分の中で戦争しているようなもんです。

戦争反対です。
望むべくは(自分の心の)世界平和です。

ただ、本当の平和は多少なりとも戦いが必要なわけで。
戦争なんて言い方をするから、仰々しくなってしまいますが、戦いは必須です。

『やりたくない軍』と、『やらないと成長しない軍』の戦いです。

できるだけ後者の軍勢強化をしましょう。
できるだけ『やらないと成長しない軍』が有利になるような政策をとり続けましょう。

そうやって戦うことで、自分の中の真の平和が訪れるんです。

今日もなんとか平和への戦いができました。
なにをしたかって、ただ改めてお礼を言っただけです。

この小さな戦いが、世界平和につながることを祈って終わりです。
ありがとうございました。

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コーシロー
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