承認欲求はゴミだけど、着火剤にはなる

フォロワー数を気にしなくなってきたのは、いつからだろう。
確か去年。noteを好き勝手書くようにしてからだ。

こうやってnoteを毎日書いていると、どうしても『誰かの役に立つ記事』なんてのは書けなくなってくる。
いや、もちろんそれまでも、

「お前が書いてきた文章は本当に誰かの役に立つ記事か?」

と問われたら、心の底から首を縦にはふれないような内容ではあるのだけど。
それでもどこかのタイミングで、『誰かの役に立ちそうな記事』から、『自分がその時に思ったことをただ書く』にシフトチェンジしてから、フォロワーが増えるペース及び、スキの数なんてのはどんどん悲惨になっていった。

その悲惨ぶりと、自分の中の「文章を書くって少し楽しいのかも…」と思う気持ちの反比例ぶりは目をみはるものだった。
まぁ、好き勝手その時に思うことを書いていれば、そりゃ楽しくもなりますよね。

もちろん、僕の中には『自分の思ったことを思い通りに文章にするのが困難』というハードルは今でもあるのだけど。
今でも思ったことをちゃーーんと、一字一句この文章に込められているかというと、素直にそうとは言えない。



まぁ、それで、フォロワーですよ。
鈍化していたフォロワー数が、なぜか最近少しずつ増えていって、今日600人を超えたんですよね。

嬉しいな、と。
フォロワー数が増えると、認められている気持ちが高まりますよね。言い方を変えれば承認欲求ですが。

承認欲求はゴミである。

なんて言葉をどこかで聞いたな。
アドラー心理学だったかな。いや、アドラーさんはそんな『ゴミ』なんて単語は使っちゃいないけど。

承認欲求はなくてもいいものらしいけど、どうなのかな。
承認欲求を満たすために頑張れる人もいるよね。

僕が以前から、見ているそれなりに成功しているYouTuberさんも、「どうしてYouTuberをしているんですか?」という問いに、「有名になりたいから!!」という承認欲求丸出しの答えをしていた。

まぁ、承認欲求という丸出しの願望で頑張れる人も中にはいるってことです。
それで頑張れるかどうかは、またその人次第なのでしょうが、わかりやすい欲望を表に出して頑張るってのは間違いでもないと思うんです。

わかりやすい願望というのは、燃え尽きやすいという欠点がありますが、それでも着火剤としては、思ったよりも使えるツールの一つかもしれません。

だから、noteやSNSを始める時に「フォロワー数を増やしたい!!」と思うのって、走り始めるときには必要なものですよね。



僕はどうだ?まだフォロワー数を気にしているか?
…うん、気にしているよね。気にしていなければ、今回のような文章を書くこともなかったのだから。

素直に「フォロワー数増やしたい!!」って思っていればいいのかな。
でもそうなると、好き勝手書くのが難しくなりそうな気もするなぁ…。

まぁ、僕は今まで通り、平常運転で好き勝手書くのが一番いいか。
書いていると、たまーーにチャンスタイムのように、フォロワーが増えるときがあるし。

問題は、そのチャンスタイムがどのタイミングで降ってくるのかわからないことだ。
なるほど、ここで分析なんてのが必要になってくるんだろうな。

サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。