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少しの改善が劇的に生きやすさにつながるから

自分の意見を言う。

地味に難しいですよね。
地味に難しくてこれができないことで生きづらくなりがちですよね。

意見、言えなかったんですよね。
単純に言語能力に難があったからというのもあるが、意見を言うことで誰かと衝突するのが嫌だったんですよね。

衝突なんて大げさなことを言っていますが、たいしたことではない。
僕が『意見を言う』とカテゴライズしているのはそんな大層なものではない。

相手「これはどうしてこんなやり方をしたんですか?」

自分「あ…(いや、それにはこれこれこうゆうわけがあるんだけど、それを今言ったところで言い訳になるかもしれないし、なによりこの状況を説明するほどのしゃべる力を持っていない。説明するとしてうまく喋れなくなったららテンパってしまう。テンパってしまって「こいつの言っていることわけわからん…」と思われるのはいやだ!)」

自分「…すみません」

なんていうね。
これです。僕の頭の中ではこんなことが一瞬で起きているわけですよ。

これです。
僕が言っている『意見を言う』というのはこうゆうことです。

これ、言えないと結構しんどいんですよ。
そりゃね、ほとんどの人は共感できないであろうことなんだけど、コミュ障を極めるとこんな感じになるんですよ。

もうね、『意見を言う』とかじゃないんですよね。
ここまでくると、意思の疎通ができないレベルになっちゃうんですよね。

そうなると、まぁ、『話が通じないやつ認定』されちゃいますよね。
そして、コミュ障はさらにコミュ障になると。

逃げ場、なくなりますよね。

そして、こういった時って甘い言葉に流されてしまいがちなんですよね。

甘い言葉ってなにかっていうと、

『君はそのままでいいんだよ』
『苦手なことは放っておいてもいいんだよ』
『コミュ障?それも個性だよ…』

なんてのです。
これね、ふざけんな、なんですよ。

そんなのを真に受けていたら、なにもできないやつになるんですよ。
やっぱね、一度は正面から「改善してやる!!」って気にならないとなにも始まらないんですよね。

そりゃね、それで本気で改善しようと思って、それでもどうしようもなかったらしょうがないんですけど、それでも『改善しよう!』と思う気持ちが大事なんですよね。

なんでかって改善しようと思って何かに取り組んでいたら、絶対に少しはマシになるからです。

マシになるよ。少しくらいは。
そしてその『少し』が劇的に生きやすさに繋がるはずなんです。

僕は実感しているよ。
はたから見たら『少し』だけど。

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