自分の当たり前は他人の当たり前ではない【自分がメンタル弱者だと改めて気づいた話】

自分では当たり前だと思っていたことが、他の人には当たり前じゃないことってありますよね。

  • 自分の家では当たり前

  • 地元では当たり前

  • 日本では当たり前

僕たちの日常には、こんな当たり前なことがたくさんあります。
中でも陥りやすい当たり前は、やはり、

『自分にとっては当たり前』

ではないでしょうか。

自分にとっては当たり前だと思っていたことも、他の人にとっては当たり前じゃないことは思いの外、たくさんあります。

今日僕は改めて、自分と他人の当たり前はこんなにも違うものか、と実感しました。

『頭が重い』経験がない人もいる

あなたは、

『頭が重い』

という経験はあるだろうか。

僕はこの、『頭が重い』という経験は誰しも、あるものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

人によっては、『頭が重い』という経験がない人もいるらしいのだ。

それがだれかというと、僕の妻だ。
妻は、頭が重いという経験はないらしい。

驚いた。
僕にとっては当たり前のように、日常的にある現象が、全く経験したことがない人もいるというのが、かなりのカルチャーショックだった。

ちなみに僕が、この『頭が重い』と感じていたのは、ほぼ毎日。
以前の僕は、ほぼ毎日『頭が重い』という現象がデフォルトになっていた。
だからこそ、僕はだれしもがその現象は経験しているものだと思っていたのだ。

しかし、最近はメンタルの調子がよいおかげなのか、『頭が重い』という現象がなくなっている。

なので現在では、

常に頭が重い、から
たまに頭が重い、に変わっている

妻と話していて、

「今日はどうも頭が重いな…」

と僕が言ったことに対して、妻は、

「…頭がいたいってこと?」

なんていう。

「いや、そうじゃなくて、頭が重いんだよね」

「…?そうなんだ?」

なんて具合だ。
妻は、

『頭が重い=頭が痛い』

と思っていたらしい。

考えてみれば、頭が重い、という表現はなんなのだろうか?
決して頭が痛い、ということではなく、頭が重いのだ。

頭が重い、を改めてよく考えてみると、

・頭がすっきりしない
・思考がぼやける
・集中できない

僕にとっては、これらすべてをひっくるめて、『頭が重い』になる。
よく考えてみると、『頭が重い』は、かなり抽象的だ。
経験した人でないと、わからないのも無理はない。

それで、不思議に思った僕が更に深掘りして聞いてみると、妻は『頭が重い』という経験がないらしい。

これが、僕にとってはカルチャーショックだったのだ。

自分の当たり前は、他人にとっての当たり前ではない

自分にとっては当たり前だと思っていた現象が、他人にとっては当たり前ではない。

改めて僕はその当たり前に気づきました。

ちなみに、カルチャーショックのついでに『頭が重い』を調べてみると、常に頭が重い人は、

・自律神経失調症
・うつ
・ストレス過多

などの疑いがあるとのこと。
要は、精神的にガタが来ていると、頭が重くなるらしい。
そうか、精神的に弱い僕にとっては、腑に落ちる。

あなたにも、おそらく自分にとっては当たり前でも、他人にとっては当たり前ではないものがあると思う。

それが、僕のように病気っけがあるものだとしたら、今すぐそれを意識しよう。

意識しなければ、それが普通になり当たり前になってしまう。
当たり前になったら、その病気っけがあるものだって治しようがない。

ということで、僕はこの、

『頭が重い経験をしたことがない人もいる』

という事実に気づけてよかった。
気づかなかったら、この症状が『おかしなこと』だと気づけなかったから。

自分の当たり前は、他人にとっての当たり前ではない

今日はそんな当たり前なことに今更気づいた日でした。

ということで以上です。
お疲れ様でした!

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